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「自己」なるものも「他者を介して」こそはじめて存在しうるのであり、はじめから関係存在・共同体存在として人間を把握することが人間考察の基本なのだ。

2021年12月23日 木曜日 晴れ

小浜逸郎 人はひとりで生きていけるか PHP研究所 2010年10月29日発行

 ・・「自分」という概念は、そもそもそれだけとして独立自存したかたちでこれを見るかぎり、内容や個性をもったものとして眼前に映し出されることは、はじめから望めないのです。・・「自分」という概念は、もともとさまざまな他者や外的世界、あるいは社会との関係によってしか成り立たない概念だからです。(小浜、同書、p123)

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 ・・このすぐれた著者たちは、一様に、「自分」を、人間考察の要素的な出発点とはみなさず、むしろ、「心と心との間」にかかっている「橋」「間柄」をこそ本源的なものとみなしています。そして、「自己」なるものも「他者を介して」こそはじめて存在しうるのであり、はじめから関係存在、共同体存在として人間を把握することが人間考察の基本なのだという原理を説いています。(小浜、同書、p125)

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 ・・心というものは、もともと実体ではなく、個人の内部、および人と人との間で作用する無形の「はたらき」そのもののことを意味します。心は、ある身体のなかに宿っている固有の実体などではありません。それは、関係性を媒介として実現される動揺常なき精神の運動といってよいでしょう。(小浜、同書、p140)

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・・「個人化」の傾向は、・・どうしても、人間についての根底的な理解、すなわち共感存在としての人間本質と抵触する部分を含んでくることになります。それが、「自己」と「他者」とを、ただ身体によって分断され互いに孤立した個人として捉える誤った人間理解です。ここからは、倫理性の原理がでてきません。(小浜、同書、p171)

「大衆個人主義」 ・・私がこの言葉をあえてキーワードに選んでいる主旨は、・・現代のような社会で「個人主義」的な日常行動を近しい者たちとの間で貫こうとすると、私たちだれもが自分以外には視野が広がらず、共感を喪失した脱倫理状態に陥りやすいということを表現したかったのです。けだし、近しい者同士の共感こそが、倫理の基礎をなすものだからです。(小浜、同書、p172)

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