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「大衆個人主義」克服のために

2021年12月24日 金曜日 曇り

小浜逸郎 人はひとりで生きていけるか PHP研究所 2010年10月29日発行

共同性を破壊する亡国の「制度改革」

夫婦別姓制度の導入: 

・・通称(旧姓)の公的使用さえ認めれば何の改革も必要のないこんなテーマを、景気回復や雇用創出や財政再建という差し迫った課題を差し置いて、なぜ「喫緊の課題」としなければならないのか。・・「多様な生き方を可能にする社会制度の実現」という耳に心地よい表現をまぶしていますが、「個人単位の制度・慣行への移行」というところに、はしなくもこの党(2010年当時の与党=民主党)の本音が出ています。・・要するに、私生活上のまとまりである家族の一体性や共同性を壊して、ばらばらな個人を労働力の単位として掌握し、全体主義的な社会を構築していこうとする意図がいよいよ仄見えてきたといってよいでしょう。  言い換えると、本来、政治が担当すべき領域などよりはるかに豊かで広い領分を持つはずの人間生活の諸領域を、貧弱な政治的言語の駆使によって徐々に蚕食していこうとしているのです。(小浜、同書、p223)

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裁判員制度: 「普通の市民の健全な常識に期待する」でいいのか

 ・・ヘンな判決が多いとすれば(実際にはそんなに多くないと思いますが)、実態としてそういう部分があるというに過ぎません。そんな事態が本当に横行しているのであれば、それは、裁判官の独立という理念が正しく機能していないという裁判所内部の重大問題として、あくまで裁判所自身がまず内部改革をしなくてはならない問題のはずです。(小浜、同書、p240)

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戦後的価値の変質について:

「個人の自由」「近代的自我の確立」を最高価値としてだけ持ち上げてきたために、いつしかその他の価値(たとえば、家族、国家、宗教、社会秩序など、多少とも共同性を表現する価値)との関係を顧慮しないような習慣が身についてしまい、「個人」や「自我」などの概念がはじめから「獅子身中の虫」として含んでいる「欲望」の放埒な正当化が前面に押し出されるようになってしまったのです。  「人権」「権利」概念の濫用、他者とのバランスある社交を無視した身勝手な主張、基本的人間関係のモードへの感覚の鈍磨、個体感覚への過敏な執着と人付き合いへの過度な恐れ、正当な権威の必要性に対する自覚やそれに伴う矜持の消滅、人間の本質を「関係」「間柄」として捉える哲学的視覚の喪失など、・・「大衆個人主義」の諸傾向は、まさにこうした戦後的価値の悪しき変質がもたらしたものだと言うことができます。私たちは、これからますます進むであろう「個人化」に対して、怠りなく目を光らせていく必要があるでしょう。(小浜、同書、p262)

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