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孔門の使徒の名に価するものは、子路・顔回の二人だけであった

2016年1月9日 土曜日

白川、孔子伝、中公文庫、1991年(オリジナルは中公叢書1972年)

「論語」について: 孔子の生涯において、最も重要な時期とみられる亡命中の記録は、おそらく顔回の手で用意されていたのではないかと思う。・・・亡命中の孔子やその一行の言動を仔細に伝えうるものがあるとすれば、その行をともにした顔回の手記などのほかには考えようがない。「論語」のほとんど全篇にわたる子路の言行も、おそらく顔回の録したものであろう。そしてかれの帰国によって、魯にもたらされたものであろう。(白川、同書、p262)

子路・顔回:
孔門の使徒の名に価するものは、この二人だけであった。事実「論語」は、この両者の登場する文章と、そして亡命中、あるいは引退後の孔子の語を、直接に録したらしい語録が中心をなしており、またその関係のものが最も精彩に富んでいる。・・・(中略)・・・孔子のことばとしては、この使徒たちが伝えるもののほかに、信頼しうるものはない。(白川、同書、p263-264)

荘周:
尤もことばを別として、その精神を論ずるならば、荘周の文はこの二子の役割を最も理解したものといえよう。思想的系譜に連なることを思わせるほど、的確である。荘周が顔氏の儒に属するとする説は、その意味でも肯定されてよいように思う。(白川、同書、p264)

精神の伝統:
漂泊のうちに亡命の生活をつづけたこの師弟によって、中国における精神の伝統は生まれた・・・ただ孔子の場合、その死によって、真の伝統は失われた。(白川、同書、p264)

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