culture & history

仁 神のことばを伝える聖人たちの教え 心のうちに深く求められたロゴスの世界

2016年1月9日

白川、孔子伝、中公文庫、1991年(オリジナルは中公叢書1972年)

 孔子の時代には、この民族のもつゆたかな伝統がなお生きつづけていた。神のことばを伝える聖人たちの教えがあった。そのことばの意味を明らかにすることが、孔子の使命であった。そして孔子はそれを、仁においてみごとに結晶させた。それは心のうちに深く求められたロゴスの世界であった。
 しかし、墨子や孟子の時代には、ようすは一変していた。伝統は滅び、ながい分裂と抗争とが、すべてを荒廃させていた。問題を、人間性の内面のものとして解決することは、不可能となっている。また列国の歴史的役割も、すでに終わりに近づいている。いまや天下を、その政治的対象として考えなければならない。明確に客体化しうるような、新しい原理が要求される。・・・(中略)・・・そういう天下的な世界観の秩序の原理を、墨子は法といい、法儀といい、孟子は仁義といい、王道天下と称した。それはまた、ノモスの世界であったといえよう。
 ノモスは、分配を語源とするものといわれている。それは公共性の原理であった。具体的には道徳や法律がそれである。墨子のいう法儀は、ほぼその概念に近いものである。・・・(中略)・・・後王主義を説く荀子、王権の絶対性を説く韓非子の法家思想が、このノモス的世界の最後の勝利者となった。(白川、同書、p198-199-200)

*****

補注: ノモス(法律・習慣・貨幣・お金)、それに対するフュシス(自然本来のもの・生きること自足することにとって本質的なもの)というギリシア語の言葉に関しては、以前にアップした「テュケー(運命)にはタルソス(勇気)を」のページ http://quercus-mikasa.com/?s=ディオゲネス もご参照下さい。・・・テュケー(運命)にはタルソス(勇気)を、ノモス(法律・習慣・貨幣・お金)にはフュシス(自然本来のもの・生きること自足することにとって本質的なもの)を、パトス(情念)にはロゴス(理性)を対抗させるのだ。(http://quercus-mikasa.com/?s=ディオゲネス より引用)

*****

**********

RELATED POST