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慶長以来、幕府がどういうふうに大名を取潰して来たか、いかに無条理で容赦がなかったか、ということを考えてみるがいい。

2021年3月21日 日曜日 曇り一時雨

山本周五郎「樅の木は残った 下巻(第四部)」講談社 1958(昭和33)年9月

 ――侍としては立派かもしれないが、人間としては無情すぎる。
 惣左衛門はそう云った。云うまでもないことだ。しかし侍としても人間としても、甲斐にはそうする以外にやりようはなかった。甲斐にとっては、それが立派でもないし、無情でもない。そうせざるを得なかっただけであり、心の奥に辛いおもいが残るだけであった。
 ――辛いおもい。
 丹三郎のとき、周防のとき、そうして、矢崎舎人の事が、それに続いたのである。(第四部、青空文庫)
そうだ、おそらく理由はあるまい、引金を引く瞬間には、久兵衛はなにも考えてはいなかったろう。銃口はしぜんに動いたのだ、その刹那に、なにかの「力」なにかの「意志」といった、眼に見えないものが久兵衛を支配したのだ。七十郎はそんなことを思いながら、実際には、頭のなかでまったくべつのことを考えていた。彼は黙って酒を飲み、ふじこは訝しそうに、急に沈黙した彼を、眺めていた。
 十左が戻り、鷺坂が戻ったとき、七十郎の表情はまったく変っていた。
「人間はしばしば」と七十郎が低い声で云った、「見ることのできない、なにかの力、なにかの意志、といったものに支配されることがある」(同、青空文庫)
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「それでいったい、酒井侯はなにを得ようというのですか」
「まえに云ったとおり、仙台六十余万石の改易だ」
「この泰平の世にですか」
「権力は貪婪(どんらん)なものだ」と甲斐は答えた、「必要があればもとより、たとえ必要がなくとも、手に入れることができると思えば容赦なく手に入れる、権力はどんなに肥え太っても、決して飽きるということはない、慶長以来、幕府がどういうふうに大名を取潰して来たか、いかに無条理で容赦がなかったか、ということを考えてみるがいい、――こんどの場合も、酒井侯ひとりの思案ではなく、首謀者はおそらく伊豆守信綱と思われる、酒井侯は亡き伊豆守の遺志を継いだものであろうし、ここでもし伊達家改易に成功すれば、加賀、薩摩にも手を付ける事に違いない、少なくとも、二大雄藩の頭を押えるだけの収穫は充分にある、そう思わないか」(同、青空文庫)
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「そうかもしれない、だがそれなら、どこへどう告発したらいいか」甲斐は囁(ささや)くような声で叫んだ、「どこへだ、十左衛門、どこの誰へ告発したらいいのだ」
 これまでに甲斐が、そんな声でものを云ったことは、いちどもなかった。十左衛門はながいあいだ親しく甲斐に接して来たが、そのようにするどい、そして悲痛な響きのこもった声を聞くのは初めてであった。杖を持った手をふるわせながら、細い首の折れるほど、十左衛門は低く頭を垂れた。(同、青空文庫)
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「耐え忍び、耐えぬくということを忘れないでくれ」と甲斐は云った、「もしも七十郎が、望みどおり一ノ関を仕止めたとしたらどうだ、一ノ関は伊達家の後見役というばかりではない、酒井侯の親族であるうえに、名目だけにせよ幕府直参の大名だ、――仕止めたとすれば七十郎は本望だろう、しかし伊達六十万石は無事には済まない、ことによると改易の口実を与えるかもしれないぞ」(同、青空文庫)
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「これからも一ノ関はいろいろと手を打つことだろう、だが決して、刃向かったり、対抗したりしてはいけない、それはかれらの思う壺にはまることだ、火を放たれたら手で揉み消そう、石を投げられたら躯で受けよう、斬られたら傷の手当てをするだけ、――どんな場合にもかれらの挑戦に応じてはならない、ある限りの力で耐え忍び、耐えぬくのだ、これは亡き周防どのの遺志として、覚えていてもらいます」
 主水は静かに低頭した。
 甲斐は俯向いて、十左衛門が「ここだ」と杖で打った、裸の地面を見まもった。そうして、誰かに囁きかけるような、低く、やわらかい声で暗誦した。
「――このほどこころざし侯て、宿老のためとらわれとなり申し候、いにしえのおうとうのごとく、くるしみをうけ候えども、のちの世きく者、かんぜざらんことあるべからず、すこしもかなしみはなきものなり」
 それは七十郎の遺書の一節である。十左衛門の眼から涙がこぼれ落ちたが、声は出さなかった。(同、青空文庫)
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「もし酔っているのでなければ、私がそんな云いかたを好まない、ということを思い出してくれ」と甲斐は云った、「私は船岡の館主として、当然しなければならないことをするだけだ、家名や一命を賭けて、などという悲壮な決意もないし、自分の能力以上のことをやろうとするわけでもない、おまえは無実の罪を衣せられ、追放になったことで思い詰めた結果、ものごとを実際より過大に感じ、そのためにのぼせあがっているのだ」(同、青空文庫)
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「――意地や面目を立てとおすことはいさましい、人の眼にも壮烈にみえるだろう、しかし、侍の本分というものは堪忍や辛抱の中にある、生きられる限り生きて御奉公をすることだ、これは侍に限らない、およそ人間の生きかたとはそういうものだ、いつの世でも、しんじつ国家を支え護立(もりた)てているのは、こういう堪忍や辛抱、――人の眼につかず名もあらわれないところに働いている力なのだ」(同、青空文庫)
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 湯島へ帰る駕籠の中で、甲斐は幾たびも深い溜息をついた。眼に見えない時の動きと、人の心のどうしようもない変化。その二つのものが、じかに、肌へ触れるほど鮮やかに感じられた。時の勢いの動きには、人間の意志を超えたなにかの力が作用しているようだ。人の心はその動きにつれて変化する、わかりきったことだ。歴史はそういうことを繰り返して来たし、これからも同じような繰り返しを続けてゆくだろう。(同、青空文庫)
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「しかしこの虚しさはなんだろう」と甲斐は暫くしてまた呟いた、「自分でこうなることを望んでいたのに、いま非難の注目をあびているということで、こんなに虚しくもの淋しい気分になるのはどういうわけだろう」(同、青空文庫)
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「いや、これでいい、これがしぜんだ」かなり長い時間ののち、甲斐は自分に向かって頷いた、「人間はもともと弱いものだし、力のあらわれは一様ではない、鉄石の強さも強さ、雪に折れない竹の撓(たわ)みも強さだ、ここで剛毅心をふるい起こすよりは、この虚しいもの淋しさを認めるほうが、おれにとっては強さであるかもしれない」(同、青空文庫)
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おそらく、酒井忠清にとっては、もはや一ノ関は無用な存在になったのだろう。兵部少輔宗勝(ひょうぶしょうゆうむねかつ)はまもなく悟るにちがいない、自分がどういう役を勤めたか、掴(つか)んだと信じていた「形ある」ものが、単なる「影」にすぎなかったということを悟るだろう。(同、青空文庫)
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伊達家の安泰。長いあいだ禍(わざわ)いのたねであった一ノ関が除かれ、伊達六十余万石と、多数の家臣たちの将来が安全になった。もしそれが多年の念願であったのなら、どういう死にかたをしようと、世評がどんなに悪かろうと、甲斐にとってまったく問題ではないであろう。
「――おじさまははれがましいことや、際立つようなことはお嫌いだった」(同、青空文庫)
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そこに樅ノ木があった。彼女の眼は蘚苔(こけ)の付いた石燈籠も、境の土塀も見ず、まっすぐにその樅ノ木を見た。九年まえに見たときと、さして違ったようには思えなかった。幹も太くなり丈も伸びたが、他の木のようには育たないのであろうか。宇乃はそっと、なにかをおどろかせまいとするように、忍びやかにそこへ坐った。(同、青空文庫)
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底本:「山本周五郎全集第十巻 樅ノ木は残った(下)」新潮社
   1982(昭和57)年12月25日発行
初出:冒頭のほぼ三章「日本経済新聞」
   1956(昭和31)年3月10日~9月30日
   上記以外「樅の木は残った 下巻」講談社
   1958(昭和33)年9月
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