agriculture

里山・里地の循環の風景をつくるのが、農の仕事。

小泉英政 土と生きる:循環農場から 岩波新書 2013年

その本(ヘニッヒ著「生きている土壌」農文協)から学んだことを、循環農場の今後に生かすために、いくつかの方策を考えた。ひとつは、トラクターの耕運を控えることだ。重量のあるトラクターを畑に入れることによって、畑は踏み固められ、更に頻繁に土をかき混ぜることによって、土の中の世界を壊してしまうことになる。トラクターの使用を最低限に抑え、それに代わるものとして、軽量の管理機の活用、さらに除草の道具の開発が目標となった。次に、落ち葉、あるいは落ち葉堆肥で、土の表面を覆うことだ。地表を裸にしないことによって、土壌に生きる土壌生物、微生物、菌類たちは活発に働くことが出来る。三つ目は、米ぬか発酵肥料の量を少な目にし、落ち葉堆肥主体の栽培に持っていく事だ。それは、一点目、二点目とセットになって可能になっていくと思われる。
 この循環農場の新しい試みは、いわば、有機農業と自然農業との中間を行くものと位置づけている。不耕起、無肥料の自然農業は、ぼく自身も経験した事のある魅力的な方法だが、担える面積や生産量に限界があり、自給自足的な側面が強いと思っている。
 あさぎ色とは、アサツキの色、薄い緑色をさす。トラクターの使用を控え、歩行型の機械や道具を駆使し、落ち葉堆肥を多用した畑は、ぼくのイメージでは濃い緑色ではなく、あさぎ色だと思う。そんな畑を実現させようとしていた矢先、東日本大震災、大津波、そして原子力発電所の大事故が起った。(小泉、同書、p105-106)

ビニールやポリフィルムを使用しない、輸入穀物に依存した鶏糞や牛糞堆肥は使わない、なるべく自家採種で、など自ら課した難問をどう解決していくのか、試行錯誤の日々が続いた。・・・当初の循環の構想、ニワトリの飼料を農場内で自給し、タマゴを生産し、その鶏糞を畑に戻すという考えは、破綻した。それに代わって現実味を帯びてきたのが、里山を整備し、落ち葉を集め、それを堆肥にして畑に入れるという道だった。(同書、p171-172)

落ち葉堆肥が使えない異常事態の中で、耐えるのではなく、より伸びやかに、愉快に深くて広い農の世界へ、協栄植物(コンパニオン・プランツ)を足がかりにもう一歩進んでみたい。(同書、p208)

現在、保有している自家採種は百二十種ほど、自分が生産している作物の約七割にあたる。無農薬の種子が欲しくて始めた自家採種、この頃は、自分で堆肥や肥料を作るように、種を採ることを百姓の仕事の一つと考えるようになって来た。農薬や化学肥料を一切使用しないで有機農業を始めたように、種も十割自家採種でと考えるのが、自然なように思う。ますますおかしな野菜セットになるだろうけれど、やってみるか。(同書、p218)

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