culture & history

嵐の中を歩むガドルフ

2012年9月13日。

朝、F先生にアポのメール。夕方17:30におうかがいするよう、返事。

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藤永さんのブログより。<以下引用>「長い間、信用してきたガーディアンにガッカリしてしまったと私がいうのを聞いて、そんなことは今さら新しいニュースでも何でもない、とジャーナリズム専門の先生たちはおっしゃるに違いない。しかし、そこに問題があります。現に作動しているジャーナリズムの世界で、私たち一般大衆に与えられる報道にあらゆるバイアスが意図的にかけられていて、一貫した無視もその手段であることを私たち大衆に知らせる行為に踏み切れば、職業的に疎外され、いい所からお声がかからなくなることを怖れて、私たちにそれを教えてはくれないわけです。」

John Pilger のWEBサイトから。<以下引用> “It was one of the strictest language courses I know,” he says. “Devised by a celebrated, literate editor, Brian Penton, the aim was economy of language and accuracy. It certainly taught me to admire writing that was spare, precise and free of cliches, that didn’t retreat into the passive voice and used adjectives only when absolutely necessary. I have long since slipped that leash, but those early disciplines helped shape my journalism and writing and my understanding of moving and still pictures”.

私もそのような文章を綴ってゆこう。文章を書く時に心にとめて置こう。 passive voice はvoiceにアクセントがあり、受身形、受動態のこと。反対は active voice。受動態を使えば主体が曖昧な文章が書けてしまうからだろう。私も心したい。

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水谷千秋著「謎の大王 継体天皇」を読了。日本の古代史の本を読むとき、困るのは、古事記・日本書紀以外に典拠に乏しく、古墳も措定はされていても発掘調査などがされていない状況で、手詰まり感がつよい。異説のいくつかをこちらは採用しこちらは棄却してという操作から一つの物語を再生産しているような感じで、基準が全くはっきりしない。中国の歴史書などをしっかり読み込めばよいのであろうが、昔の漢文を読みこなすのは、中国語を話す人たちでも難しいだろう。要するに学問の進め方が明確でない。記紀の著者たちがどういう方針でどういう歴史編纂を行ったかが明確でなく、読みこなすことが難しいことが、大きな障害となっている。たとえば九州王朝はどのような形で起こり衰退したかなど、不明のところに手を付けられないでいる。どこから手を付けたらよいのであろうか。

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夕方5時半。F教授のところにうかがい、退職に関してお願い申し上げる。

部屋に戻ってからwisさんの朗読で賢治の「旅人の話」を聴く。旅も終わりに近づいてきました。しかし、新しい旅の始まり。「新しい紙を買ってきて、この旅人の話をまた書きたいと思います。」

同じくwisさんの朗読で「グスコーブドリの伝記」を聴く。恐らく私の旅の原点はこのブドリの世界にある。マキアヴェリや会田雄次さんの見る世界も本物である。けれども、私がこれからも旅してゆくのは嵐の中をひとり歩むガドルフであるし、恋しているのは嵐の中で立ち続ける白い百合の花なのだ。その原点を見失わなければ、また正しい道を歩み続けることができるだろう。

それにしても、ブドリたちが大変なサンムトリ火山の噴火を前に「急いで汽車に乗った」、というところでは思わず笑ってしまう。サンムトリに到着するのは次の朝。昔の汽車は遅かった。最後に本格的な路線汽車に乗ったのは11歳の夏、腕を骨折して旅の途中で引き返した折だったが、本当に遅かった。腕がずきずきと痛んだ。優しかった母を思い出す。ブドリの時代なら、きっと汽車が一番速い乗り物だっただろうが、すでに内燃機関を備えて高速のメルセデスはドイツには存在していただろう。イーハトーボにはベンツは輸入されていないし、買えたとしてもそれを走らすしっかりしたアウトバーンはなかっただろう。それでも、ブドリたちは、本物。悲しい顔をして心で笑ったり、笑いながら心の中で悲しい思いで泣いていたりはしないのだ。

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以上、2012年9月13日付けの日記より。

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2014年2月20日付け、WEB記事のためのHHコメント:

この日に大学退職を願い出たのです。それから半年後の2013年3月末で大学での研究者生活に終止符を打つこととなりました。私にとっては記念すべき踏み切りをしたこの日、賢治の「旅人の話」を再び聴いておりました。私のひとつの旅も終わりに近づき、しかし、新しい旅の始まりも待っていました。「新しい紙を買ってきて、この旅人の話をまた書きたいと思います。」  私も、今、新しい土地で新しい旅を始めているのですね。

「けれども、私がこれからも旅してゆくのは嵐の中をひとり歩むガドルフであるし、恋しているのは嵐の中で立ち続ける白い百合の花なのだ。その原点を見失わなければ、また正しい道を歩み続けることができるだろう。」

以上、2014年2月20日付け、WEB記事のためのHHコメント。

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