culture & history

目をそらすことのできないもう一つの西洋近代史

2021年4月1日 木曜日 晴れ

布留川正博 奴隷船の世界史 岩波新書1789 2019年

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・・15世紀半ばから19世紀半ばまでの4世紀にわたって、大西洋奴隷貿易が行われた。ポルトガル、オランダ、フランス、イギリス、アメリカなどの奴隷商人が活発に貿易活動を展開した。これ以外にもデンマークやスウェーデン、ブランデンブルクでも少数ながら奴隷船が繰りだされた。(布留川、同書、p57)

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・・ポルトガル王国は奴隷制社会だったのである。  奴隷や金、象牙などのアフリカとの貿易が軌道に乗りだすと、1481年に王室はこれに対する独占権を留保した。この頃ポルトガルからアフリカに輸出された商品は、馬、小麦、カーペット、布、金属製品、ビーズなどであった。王室は、奴隷貿易を統括するための組織として1486年にリスボン奴隷局を創設した。(布留川、同書、p20)

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・・フランスの場合もオランダと同様、十七世紀終わりから独立貿易商人の活動が活発になり、彼らは西アフリカだけでなく、南ロアンゴやアンゴラまで勢力を拡大した。・・奴隷船によって運ばれた奴隷の行き先は、主として仏領西インド諸島のグアドループ、マルティニーク、サン・ドマング(ハイチ)であった。いずれも主要な生産物は砂糖である。1788年の仏領西インド諸島全体の人口規模は、白人55,000人、有色自由人32,000人に対して黒人奴隷が594,000人であった。この三つの植民地のなかでもサン・ドマングが最大の奴隷人口を抱えていた。(布留川、同書、p54-55)

・・1672年に設立されたのが王立アフリカ会社である。  「王立」とは付くものの、企業形態は株式会社であり、ヨーク公(のちのジェームズ二世)をはじめ貴族、地主、役人、商人などが出資者となっている。・・交易の中心はシエラ・レオネや風上海岸、黄金海岸、奴隷海岸であった。(布留川、同書、p55)

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