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アメージング・グレース:奴隷船の船長・航海士・船医・水夫

2021年4月1日 木曜日 晴れ

布留川正博 奴隷船の世界史 岩波新書1789 2019年

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・・18世紀半ば、リヴァプールから出帆した奴隷船の船長として、ジョン・ニュートン(1725-1807)の名前は、よく知られている。・・ニュートンは1780年代後半には奴隷貿易廃止運動のなかで重要な働きをすることになる。奴隷船の船長として奴隷貿易活動に関与していたことを悔い、人々に奴隷貿易の罪深さを知らせるために活動したのである。(布留川、同書、p83)

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水夫の調達 ・・ 水夫のの賃金は18世紀初め、平時には月40シリング、戦時には60~70シリングであった。年収に直すと平時で24ポンドとなる。・・ 奴隷商人と船長はどのようにして水夫を集めたのか。奴隷船が一種の「監獄船」であってみれば、水夫自身が監獄行きを免れない状況になってはじめて奴隷船に乗る覚悟を決める、あるいは、覚悟を決める前に強制的に乗船させられるのである。(布留川、同書、p90)

 ・・もっとも一般的なのは、宿屋や酒場などで借金をため込んで、返済のために奴隷船に乗り込んだというもので、水夫自身が債務奴隷であったわけである。(布留川、同書、p90)

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・・興味深いのは「拿捕免許状」という項目である。これは戦争状態にある場合、敵国、たとえばフランスの船を拿捕してもよいという許可状のことである。一種の海賊行為を政府が公に認めたものであり、奴隷船は私掠活動も行っていたことになる。もちろん、逆にフランスの奴隷船にも同様の権利が認められていたわけである。(布留川、同書、p99)

補註: 船長が「拿捕」でリッチになるという海賊的野蛮かつ不可思議な事情に関しては、過去にこのブログでも、オースティンの小説『説き伏せられて Persuasion』などを紹介した折りに、解説した通りである。

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ロンドン・アボリション・コミティー

サマーセット事件やゾング号事件などによって在英黒人問題や奴隷貿易の悲惨さが知られるようになり、またアメリカ合衆国の独立によってイギリス帝国の危機が囁かれるようになった1780年代に、アボリショニズムの動きが活発になっていった。(布留川、同書、p116)

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