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無限の弁証法的運動過程としての「全体と個」

2020年6月28日 日曜日 雨時々曇り

小浜逸郎 日本の七大思想家 幻冬舎新書288 2012年

無限の弁証法的運動過程としての「全体と個」

・・ここに、「全体と個」「社会と個人」といった二元的な構図の問題が現れるが、和辻は、どちらかを価値優位的に選択するべきであるというような発想をけっして採らない。  この問題を、どちらかの洗濯の問題として捉えると、そこにはたちまち素朴な政治思想的問題に結びつく可能性が開けてしまう。・・しかし和辻は、そういうわかりやすいが単純な発想を常に周到に避けている。  和辻は言う。人間世界は、社会と個人との二重性において成り立ち、個は、全体からの離脱、すなわち全体の否定であり、人間存在の本質的契機のひとつとして必ずその立脚点を認められなければならないものであるが、さらに進んで、再びみずからを否定し、その本来的在り処としての共同存在に自己還帰する。こうした無限に続く否定の否定としての弁証法的運動の全体が人間のあり方である、と。  ≪・・社会と根本的に異なる個別人が、しかも社会の中に消える。人間はかくのごとき対立的なるものの統一である。(和辻、倫理学、序論第一節)≫ (小浜、同書、p368)

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国際主義の様々な形・・「共産主義」「社会主義」「リベラル思想」「ネオコン」「新自由主義(リバタリアニズム)」・・これらの共通項は、国家の価値や民族の価値、すなわちナショナリズムの否定であり、ナショナリズムを消滅させて世界を統一すること。

2022年9月30日
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