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デタラメが世界を動かしている。

2020年7月4日 土曜日 晴れ

小浜逸郎 デタラメが世界を動かしている PHP研究所 2016年

・・この種のことは世界史の至るところに転がっているでしょう。私たちの絶望感、虚しさの意識は、知識や情報を多角的にとりいれればいれるほど深まってゆくとも考えられます。それでも私たちはその絶望感を抱えながら、現に生きているし、これからも生きつづけなくてはなりません。  そうしてその過程で、たまたま出会ったり知ったりしてしまった「デタラメ」があったら、それをそのままにしておくわけにもいきません。何とか是正しようと誰もが考えるでしょう。何のために? 「この私たちの生」を少しでも充実感で満たすために。デタラメに対する憤りを少しでも鎮めるために。  さて逆説的ですが、そういう生の意志をいったん抱えてそれを持続させようとするとき、この世はデタラメが動かしているという感知と絶望感とは、かえって持続のための力を与えないでしょうか。魯迅の有名な言葉が思い浮かびますーーー「絶望の虚妄なるは、まさに希望のそれに相同じい」。そう開き直って、これから進みましょう。(小浜、同書、p381)

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作家の発言や行動と、作品の価値は区別すべし

・・文学というのは、もともと個人と個人の関係の問題を、感性を武器として扱うことを得意としているので、そこから超越したマクロ世界にかかわる論理的な認識については苦手なものなのです。(小浜、同書、p358)

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「デモ」なるものの可能性と限界

・・いかがでしょうか。どの項目を見ても、その問題について相手と静かに討議したり、一人でじっくり考えるという行為とは対極にあることがおわかりでしょう。・・つまり、理性的な言葉によって相手を説得しようという試みをはじめから放棄しているわけです。同時に、もしかしたら自分の考えと行動は間違っているかもしれないという自己懐疑の可能性は、あらかじめ禁じ手になってしまっています。(小浜、同書、p355)

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