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グラフの形が違う!

 

グラフの形が違う!: ユーア、ロングの思い出。

 

2006年1月17日e

「グラフの形を比べてみよう!」とは、当部のメンバーなら、耳にたこができるほど聞かされている。しかし、ここで語るのは、「ユーア、ロングの思い出」である。すべては語れない。痛恨の想いに沈み込む。とげのように深く突き刺さって、古い傷口が今でも疼くのである。

1991年のこと、私は、Hv大学のG教授のところに相談に行った。Hv大学は、私の小学生の頃からのあこがれの大学でもあり、また、G教授はノーベル賞ももらっている天才科学者の誉れ高い人だ。パーティでお宅にうかがったこともあったし、常々、立派な仕事に心服していたのである。G教授のところに一回目に相談にうかがったときに、私の仕事で面白いデータのでていること、G教授のテーマの方向でその仕事を発展させていきたいことを話した。結果、日を改めてもう一度、私の実際のデータを見せて、具体的なディスカッションをすることとなった。

私のデータは、今までの平凡なデータとは違ったラインの仕事で、なかなか不思議な実験データであった。ただ、その面白さが、当時のボスのM先生が決して面白がらないジャンルの面白さで、むしろ、G教授にぴったりのプロジェクトにつながりそうだった。私は、是非、G教授のアドバイスをもらい、ボストンの地で、科学者としての起死回生の仕事に打ち込んでみたいと思ったのだ。

さて、G教授に見せに持っていくべきいくつかのデータのうち、一つのフィギャーでは、2回繰り返して基本的には同じ興味深い結果が出ていた。ただ、グラフがでこぼこしていて、実験が下手だと思われそうなデータだった。が、まあ、仕方なかろう。G教授のところに2回目に訪問、そのデータを見せて説明したところ、G教授が即座に「ユーア、ロング」と大声で言った。私は、何が長いのか分からず、びっくりしてしまった。「ロング、ロング」と繰り返す。私は、ようやく、「You are wrong. (お前は間違っているぞ)」と言われているのに気づいた。G教授は、グラフの形が different (違っている)、というのだ。私は、実験のデータのばらつきでグラフがでこぼこしていることかと思い、実験手技が下手であることによるでこぼこではあっても、結論が間違っていることにはならないことを、冷や汗をかきながら一生懸命説明した。何しろ、私の命運がかかっている。

しかし、それでも、ユーア、ロングと言われた。そして、こんなこともわからないのかと蔑んだような身振り言い方で、彼が説明するには、私の仮説が正しければ、私が実験で得るはずのグラフの形は、コントロール実験のグラフの形と同じ、すなわち、平行移動したら重なる形になるはずである。ところが、私の実験結果は、変にへちゃげた、コントロールとは全く違った形のグラフになっている、すなわち、私の仮説とは全く違った異質の「何か」が起こっている、と解釈しなくてはならない。私もようやく、そのグラフに関して自分の解釈の誤りに気づいた。確かに、G先生のおっしゃるとおり、私の仮説は成り立たないかもしれない。言われたことは良くわかった。

それは良くわかったが、こうしてG先生のところに相談に来ている理由は、局所的にそのデータの解釈だけを教えてもらいたかったからではない。科学者としての姿勢を尊敬しているG先生からさまざま大局的なアドバイスをもらいたいから、こうして相談に来ているのである、そう言ってお願いしたが、冷たくあしらわれただけであった。日本的な浪花節では通用しない世界がそこにある。たとえ一つのフィギャーにせよ、データの解釈を間違えたこと自体、言語道断、徹底的に糾弾さるべき愚かさ、ということか。あとには、とげとげしい冷たさが残ったのみであった。

問題のフィギャーに関して、あとから落ち着いて追加実験を行って、やはり私の実験結果のアセス(評価)は間違っており、バクテリアからタンパクを精製してきたときの夾雑物による影響を見ていただけらしいことを、自ら突き止めた。結果として、G先生の読みは正しかった。しかし、よそのポスドクのデータを開示させ、局所的な解釈に関して、あれほど厳しく糾弾された。私はひとりで、ひどく落ち込んだ。その辺の人間関係的事情はさておき、私はその時はじめて、自分の実験データの読みがいかに浅かったかを思い知らされた。「ユーア、ロング」とあからさまに指摘されたのは、あの時がはじめてであった。(今のところ、あれが最後であった、と言えるが、これはまだ当分、確定しない。) 私も、すでに30報以上の英文原著を発表してきた34歳の科学者として、ひとつの実績は出してきていたはずなのに、すべてを打ち砕かれた面接だった。今に至るまで、この「グラフの形が違う!」は、私にとって最も貴重な研究のキーワードであり続けている。部員の前で「グラフの形」と言うたびに、依然として、私のどこかで小さな「とげ」のようなものが動いているのが見つかる。「ユーア、ロング」は、私の痛みであり、悔しさ・屈辱である。

2年間のボストン留学時代は、科学者としての私にとって、惨めな模索の時期であった。

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以上、グラフの形が違う!: ユーア、ロングの思い出  2006年1月17日e 付けのWEBページより再掲

 

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