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バルザック ゴプセックーー高利貸し観察記

2017年4月5日 水曜日 晴れ

バルザック ゴプセック 「人間喜劇」セレクション 第7巻 金融小説名篇集 吉田典子・宮下志朗訳 藤原書店 1999年 (「ゴプセック」は1830年)

補註 バルザック生誕200周年の出版である。S市の中央図書館に並んでいて助かった。本を買い集めるのは私の趣味の一つなのだが、このところ本棚にスペースがなくなってきていて、落下物による危険もあり、寝起きが苦しいのである。しばらくは図書館通いが必要そうである。

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「ダイヤが手に入った! ・・・(中略)・・・ 「余は法王(ぱぱ)なり」さ! 今夜、ドミノの勝負の合間に、あいつらにこの一件を話してやったら、どんな馬鹿面をするだろう!」
 いくつかの白い石ころを手に入れただけで引き起こされた、この陰鬱な喜び、この野蛮人のような残忍さは、私をぞっとさせました。(バルザック、ゴプセック、同書、p57)

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わしは金持ちだから、官房の使い走りから愛人にいたるまで、大臣を動かせる連中の良心を買うことができる。これが「権力」というものではないかね。・・・(中略)・・・ あんたがたの社会秩序全体も、煎じつめれば「権力」と「快楽」に還元できるのではないかね。こんな力をもった人間は、パリに十人ばかりいるが、みな、ひっそりとして人に知られぬ王様で、あんたがたの運命をどうにでも左右できるのだ。人生とはひとつの機械であって、それを動かすのが金ではないだろうか。知っておいてほしいのだが、手段というものは、つねに結果と混同されるものだ。魂と感覚、精神と物質は、決して区別することはできない。金は、あんたがたの今の社会の精神(スピリチュアリスム)だ。(バルザック、ゴプセック、同書、p32)

補註 高利貸しゴプセックの面目躍如・・人間喜劇の名台詞である。手形や利子を巡って、巨大な金額が飛び交うので、換算すると目が回りそうである。が、落ち着いて考えてみると、ヴァーチャルなお金がリッチな人から高利貸しというリッチェストな人に動いているだけで、人々の生産や生きる喜びとは関わりのない擬似世界であることも明瞭である。それにしても、バルザックの「金を物語る力」には驚嘆する。

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そこに見えたのは、強欲の行き着く先で、強欲と言っても、田舎の守銭奴によくそういう例があるように、もはや非論理的な本能しか残っていないような強欲ぶりでした。ゴプセックが息をひきとった隣の部屋には、腐ったパテや、あらゆる種類の食料品や、かびの生えた貝や魚まであって、その雑多な臭気のために、すんでのところで窒息しそうになりました。いたるところに、蛆虫や昆虫がうごめいていました。これらの最近の贈り物のなかには、あらゆる形の箱や紅茶のケースやコーヒーの包みが混じっていました。マントルピースの上の銀のスープ皿のなかには、ル・アーブル港に、彼の名前で留め置きされている商品の到着通知が入っていました。大きな綿の包みや砂糖の木箱、ラム酒の樽、コーヒー、藍、煙草など、まるで植民地の物産のバザールそのものです! この部屋にはまた、家具や銀器、ランプ、絵画、花瓶、書物、額縁に入れずに巻かれた美しい版画、そして骨董品がところせましと置かれていました。このような大量の値打ちものは、おそらく全部が贈り物というわけではなく、なかには支払いがされなかったために、彼の手元にとどまった担保も含まれていたのでしょう。私は、紋章やイニシャルの入った宝石箱、上等の布地のそろいのナプキンとテーブルクロス、貴重な、しかし銘をはがした武器を見ました。位置を変えられたように見える本があったので開いてみると、千フラン札が何枚も入っていました。・・私は法律家としての生涯のなかで、これほど貪欲で、また風変わりな所業は、見たことがありませんでした。・・・(中略)・・・ 要するに、どの品物も異議申し立ての対象になっていたのですが、それはゴプセックにあっては、強烈な情念が知性に打ち勝った老人すべてに訪れる、あの子供っぽさ、あの理解できない頑固さの最初の徴候を現していました。・・・以下、略・・・ (バルザック、ゴプセック、同訳書、p94)

 

 

補註 「ホーディング(hoarding)症候群」の高利貸し亜群の症状記載として、バルザックのこの記載は極めて鬼気迫る書かれ方となっており、思わず長々と引用させていただいた。ホーディング症候群の患者を家族に持つ人の心の痛み、また現実的肉体的苦痛は察するに余りある。慰めの言葉を思いつかない。しかし、そのように苦しんでいる方が、このバルザックの小説を読みながら、少しでもあるいは一時でも心を慰められんことを、私は祈りたい。

補註つづき 「まるで植民地の物産のバザール」・・フランスの農民や手工業者の労働だけではこれほどの巨万の富は築けない。綿や煙草の包みはアメリカ南部から、砂糖やラム酒は西インド諸島から、コーヒーは南アメリカから、藍はインドなどからはるばる運ばれてきたのであろう。いわゆる三角貿易や植民地からの収奪が、このパリの高利貸しの富を構成しているのである。
 ちなみにゴプセックは、ハイチからの賠償金取り立てでも巨大な利をむさぼっているのである。(「ハイチは1820年独立、1825年にはフランスも旧植民者に対する一億六千万フランの補償金を条件に独立を承認する」同書、訳注、p88) ハイチの苦しみは今も続いている。

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あの貴族(=レストー伯爵)は死にかかっているよ。あの男は、感じやすい魂の持ち主で、悲しみを殺す方法を知らず、逆に必ずや悲しみに殺されてしまうたぐいの人間なのさ。人生ってやつはひとつの仕事であり、職業であって、それを覚えるには苦労しなければならんのだ。いろいろな苦しみを経たおかげで、人生のなんたるかを知った人間は、心根が鍛えられて、一種の柔軟さを身につけ、自分の感受性を制御できるようになる。その神経は、一種の鋼鉄のバネのようなものになって、折れ曲りこそすれ、壊れることはない。こんなふうに出来上がった人間は、胃が丈夫ならば、レバノン杉と同じくらい長生きするにちがいない。あれは見事な木だ。(バルザック、ゴプセック、同訳書、p68)

 

 

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Honoré de Balzac, photographie retouchée par Nadar à partir du daguerréotype de Bisson Date : ca 1890
バルザックの妻エヴェリーナ・ハンスカ(1825年)
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