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人類が農耕を開始して、感染症との関係が劇的に変わった(1万1000年前頃)。メソポタミア文明の勃興とともに、感染症の定期的流行が発生(BC3500年頃)。

2022年1月6日 木曜日 晴れ

神野正史・監修 感染症と世界史 人類はパンデミックとどう戦ってきたか 2020年7月6日発行

神野正臣 「世界史」で読み解けば日本史がわかる 祥伝社 平成29年(2017年)

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創業と守成

・・「1万2000年もつづいた」という事実自体が、縄文時代が「変革を必要としないほど豊かで平和な時代」だったことを証明しているのです。(神野、世界史で読み解けば・・、p31)

定住を可能にした縄文人の知恵

・・縄文人が自然採集のみに頼っていたのではなく、ちゃんと栗の木を苗から植え、繁殖させていたことがわかってきました。  たとえば現在でも・・恒久的に資源が枯渇しないように配慮していますが、それと同じことを縄文人も行い、資源(栗の森)が枯渇しないように工夫していたというわけです。  こうした特徴はヨーロッパその他の狩猟採集民には見られないもので、これなら安定的に採集を確保することが可能になります。  しかし、それでも「定住」となるとまだ足りません。  そこで、時代の名前の由来ともなっている「縄文土器」がその謎を解明する焦点となります。  ・・彼らは、木の実や魚を・・ちゃんと煮炊きをし、料理をしていたことが判明したのです。  ・・四季折々の豊かな自然に恵まれ、そこから十分な糧を得ることができた縄文人は、まったく農業に移行する必要がなかったのです。

 いえ、それどころか、たとえ農業を知ったとしても、その導入には抵抗したことでしょう。  なんとなれば、・・農業を導入するためにはその第一歩としてまずこの実り豊かな自然を破壊し、整地して田畑を作らなければならないからです。(神野、世界史で読み解けば・・、p34)

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新たな生活様式「農耕」を獲得  感染症との本格共生がスタート(BC7000年頃まで)

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・・狩猟中心の時代、感染症はパンデミックを起こす病ではありませんでした。人々は定住せず、ほかの集団との接触もなかったためです。・・集団を越えて感染症が広がることも、同じ感染症に繰り返し悩まされることもなかったでしょう。(神野、感染症と世界史、p16)

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定住化により「生活空間」が感染症の温床に

 感染症との関係が劇的に変わったのは人類が「農耕」を開始した1万1000年前頃のこと。

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家畜との生活で感染症蔓延、「結核」も流行

 家畜との共同生活により、家畜から人への感染症が蔓延。(神野、感染症と世界史、p16〜19)

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メソポタミア文明の勃興とともに感染症の定期的流行が発生(BC3500年頃)

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人口増加の結果、強感染力の「麻疹」が流行

・・農耕の開始によって人口が増え、集落は村や町となって巨大化していきました。この頃、大流行したのが「麻疹」です。

・・麻疹ウイルスは、かつては動物のかかる感染症だったと考えれます。家畜とともに暮らすうちに、人へと感染。ウイルスが人に適応する形へと変容した結果、人やサルの仲間しか感染しない人間の病気として定着したようです。・・・(中略)・・・

 感染症の持続的流行を維持するのに十分な人口は、最低でも数十万人が必要とされます。・・メソポタミア文明の勃興により、人類が史上初の「感染症の流行」が成り立つ人口を手に入れた結果、麻疹が定期的に流行するようになったのでしょう。繰り返し人類を襲う感染症は、文明の発展によってもたらされた、ある種の「文明病」でもあったのです。

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「終生免疫」の獲得により流行は沈静化

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文明を担うには感染症の克服が必要

・・外敵が文明の中心部に入り、その担い手となるには、文明の持つ感染症を克服する必要がありました。麻疹などの感染症は「文明の守り手」として機能していたとも考えられそうです。(神野、感染症と世界史、p20〜22)

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