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チャペック イギリスだより

2017年1月2日 月曜日 曇り

カレル・チャペック イギリスだより カレル・チャペック旅行記コレクション 飯島周編訳 ちくま文庫 2007年(訳本の初版は1996年恒文社、オリジナルは1924年)

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ウェンブリーの大英博覧会
・・かの故国で、わたしはイブキジャコウソウの匂いにつつまれながら、ごつごつした地面に座り、目を閉じるだろう。わたしの体内には、農民の血が流れており、自分で見たものが、いささか不安を呼び起こしたからである。人間的完全性を生じえないこの物質的完全性、この重く、買収不可能な生命をもつ輝く機械は、わたしをすっかり意気消沈させる。(チャペック、同書、p84)

四億の有色人が大英帝国内に存在している。・・・(中略)・・・  ウェンブリーの博覧会は、四億の民がヨーロッパのために何をしているかを、また部分的には、ヨーロッパがその人たちのために何をしているかを示す。しかし、その人たちが自分自身のために何をしているのかは、ここには示されていない。その多くは、大英博物館に行っても見られない。最大の植民帝国が、ほんとうの民族学博物館を持たないとは・・・。・・・(中略)・・・ これらすべてから、結局、さらさらと音をたてる、手の切れるようなポンド紙幣がしぼりだされるのだ。・・ わが魂よ、この世界の宝庫から、何をあがなわんと欲するか。何も、実際に何もいらない。(チャペック、同書、p89)

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イースト・エンド
・・東ロンドンで恐ろしいのは、目で見たり、鼻で嗅いだりできることではなく、それが途方もなく広がっていて、いくらお金をだしても処理できぬくらいたくさんあることなのだ。・・それがここでは、何マイルも何まいるもにわたって、暗い家々、絶望を呼ぶ通り、ユダヤ人の店また店、かぞえきれぬ子供たち、焼酎酒場、そしてキリスト教会の施設ばかりだ。(チャペック、同書、p92)

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カントリー(田舎)
 チェコの農民であるわたしのおじさん、あなただったら、この世界でいちばん美しい牧場で遊ぶ赤や黒の牛の群れを見ると、きっと憤激して頭をふり、こうおっしゃるだろうね。「こんな見事なこやしを、なんて、もったいないこった」そしてまた、こうも指摘するだろう。「どうして、ここにかぶを植えないんだろう。・・・以下、略・・・」 でもおじさん、ここでは、そんな仕事をする価値がないということですよ。・・おじさん、このあたりには、もう小作の百姓はいないんです。ここはもう、こんなふうな庭園になっているだけです。 「でもおまえ、知ってるだろうが」とおじさんはおっしゃるだろう。「おれには自分の国の方がもっといいな。たかが、かぶらを作っているにすぎなくても、少なくとも、仕事をしているのが見られるよ。ここじゃ、ほんとうに、誰も牛や羊の番をしてないじゃないか。・・ほんとうに、人っ子ひとり見えねえな。・・いったい、この土地じゃあ、誰も仕事をしねえのかい」・・イギリスの田舎は、仕事のためにあるのではない。それは、目の保養のためにあるのだ。イギリスの田舎は、庭園そのもののように緑にみちて、天国のように汚れを知らない。(チャペック、同書、p99-100)

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しかし、イギリス人と親しくなってみると、非常に親切で、やさしい人たちである。決して多くのことを語らないが、それは、自分自身のことを決して語らないからだ。まるで子供のように他愛なくたわむれるが、しごくまじめな、なめし革のような顔つきをしている。きちんとしたエチケットがたくさんあるが、同時に、子犬のようにのびのびしている。(チャペック、同書、p201-202)

・・そしてイギリス風マトンを味わったなら、さあ、おそらく”並”のイギリス人の肉体的楽しみのすべてを経験したことになり、イギリス人の閉鎖性と真面目さと、きびしい道徳的態度がわかりはじめるだろう。  これに反して、トースト、焼きチーズ、そしていためたベーコンは、たしかに楽しき古きイギリス(merry old England)の遺産である。・・ イギリスの料理は、ある種の軽さと華やかさ、生ける喜び、豊かなメロディ、そして罪深き悦楽を欠いている。これらは、イギリスの生活全体にも欠けていると言いたい。・・イギリスの街路、人間、人声と親しむことはできないだろう。友情を込めて親しくウィンクしてくれるものが、何もないのだ。(チャペック、同書、p214)

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