2026年1月22日 木曜日 雪
山本周五郎 栄花物語 新潮文庫 (オリジナルは1953年)
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人間と人間との関係はもっと複雑で、たやすく割り切ることのできないものが多い。彼は、その複雑な条件のなかで真実な生きかたをつきとめたいと思うのである。
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・・むろんそんな勇気や、ふんぎりをつけることが立派だとはいえないだろう。人間と人間との関係はもっと複雑で、たやすく割り切ることのできないものが多い。信二郎はそういうことに縛られるのを嫌って、あらゆる条件から自分を切り離した。保之助はそれとは逆に、その条件のなかで真実な生きかたをつきとめたいと思うのである。そのための苦しみは辞さないつもりなのだが、しかしその苦しみが相手に通じず、自分だけの独り相撲だとわかってみると、それでもなおねばるだけの力は若い彼にはなかった。(山本、同書、p524)
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・・老中には充分そのくらいの権威があったし、条件も揃っていたのだが、意次は首を振った。
ーー人がその力量を保持するためには、すすんで他の力量と対決しなければならない。
大樹は風説の中でこそ培うべきものだ。こう云って、自分の言葉の力んでいるのが可笑しいかのように唇でそっと笑った。問題は時間の欲しいことであった。敵は勢いに乗じている、陣容を充実させ、先手を打って立ってきた。いま即座に受けてはまずい、決河の水はその力の緩んだ時に堰き止めるのが常道である。
ーーどうして時間を作ったらいいか。
こう評議していた時に、意知危篤の知らせが来たのであった。(山本、同書、p558-559)
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「私(=意知)は生死に執着することを、恥ずかしいとは思いません。死ぬことは怖ろしい、死ぬかもしれない、と思うと、怖ろしさのために、髪の毛が逆立つようです、しかし、この恐怖は長くは続かない。呼吸が止まれば、それで終わりになるでしょう、ーー私はいま、死ぬことの恐怖よりも、生きられる限り生きたい、どんなことをしても、もう一度立ち直りたい、ということにしがみついているのです、私は、私のこの心臓が止まるまで、この執着を放しません、決してーー」
意次は頭をさげた。
ーーそのとおりだ、それが一つの超脱だ。
生死に執着することを恥じない、と云えることは生死を超脱したことになりはしないか。よしそうでなくとも、観念のうえで死を超越するよりは、死に当面して生に執着するほうがはるかに人間らしい。
ーーより、粘れるだけ粘れ、竜助。
と意次は心の中で叫んだ。
ーーあっぱれ、いさましいぞ。(山本、同書、p566)
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・・長い年月、彼は非難と悪罵の中で生きて来た。それらの非難や悪罵はたいてい政治的なもので、かれらが蒙昧であるか、理解力がないか、または理非の判断をことさらに無視した、作為から出たものであった。もちろん、慣れるわけにはいかない、どんなに度重なっても、不愉快の度は決して減少するものではないが、それらには政治的な対立という、明らかな根拠があるから、軽侮と笑殺とで酬いることができる。ーーしかし意知の葬列に対する市民の暴挙にはそういうものはない、たとえばかれらが、田沼父子についての歪められ拵えられた悪評を、そのまま信じたからだとしても、なおかつ死躰(したい)を凌辱していい筈はない。犯罪者でさえも、死んでしまえば死者としての礼を受けるではないか。(山本、同書、p576-577)
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