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日本の往生即涅槃:極楽浄土に生まれることと涅槃を得ることは同一

2016年2月5日 金曜日 曇りのち晴れ

中村元 日本人の思惟方法 中村元選集決定版 第3巻 春秋社 1989年

日本の浄土教では、極楽浄土に生まれることと涅槃を得ることは同一である(往生即涅槃)

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インド浄土教によると、現世の世界は汚濁にまみれた穢土であり、とうていわれわれ凡夫はここで仏道を修業することはできないから、来世にはよりよき世界である極楽浄土に生まれて、そこで阿弥陀仏のもとで聴聞し修行して、ついに涅槃を得ようと願うのである。ところが、日本の浄土教、ことに真宗によると、極楽浄土に生まれることと涅槃を得ることは同一のことがらである(往生即涅槃)。だから日本の浄土教にあっては、穢土である現世の地位が、インドの浄土教徒の考えていた極楽浄土に近い地位にまで高められたと批評してよいのではなかろうか。これも日本民族の現世主義的傾向にもとづくものと考えねばならないだろう。(中村、同書、p44)

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日本人は仏教の渡来する以前から現世中心的・楽天主義的であった。このような人生観がその後にも長く残っているために、現世を穢土・不浄と見なす思想は、日本人のうちに十分に根をおろすことができなかった。だから仏教で説く「不浄観」もそのままでは日本人に採用されなかった。(中村、同書、p49)

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