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谷川健一 日本の神々

2019年4月4日 木曜日 晴れ


谷川健一 日本の神々 岩波新書 1999年


アカマタ・クロマタのような鬼や妖怪も、あとでは慈愛にみちた老翁のいで立ちで、村人に祝福を与える常世神とかニライの大主(うふしゅ)にまで進化した。それは他界霊のもっとも浄化した形である。しかしカミは原初的には祖霊、死霊、妖怪の三者とも区別のつかぬ存在であった。  祖霊が正月、盆、春秋の彼岸に現世を訪れ、家ごとに祭りをおこない、子孫が先祖との再会をよろこぶようになったのは後代のことである。(谷川、同書、p10)


 ・・ヒモロギは、神が降臨する場所を常緑樹で囲うだけで、祭りが終わると即刻、取りこわすのが常例であった。あとでは祭場に仮小屋を建てるようになった。それも祭りの直後取りこわしたが、のちには仮小屋をそのまま残しておくことにした。それがヤシロの原型である。(谷川、同書、p16)


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セヂとケ 

南島で顕著に見られるのはセヂと呼ばれる霊威である。・・・(中略)・・・セヂは固有の霊威ではなく、外部から付着する霊威である。(谷川、同書、p30)


 本土では食物をケというが、これはケという外来魂が付着した食物を身体に入れることで活力や威力をつけることに由来する。  それに引きかえて物に付着したケの活力が破裂して、むき出しになることがハレである。そうなることからハレには日頃許されない狼藉も許される。・・ハレとケとは異なる倫理と価値に支配される。・・はじめからそのようにケにつつましいイメージがあったわけではない。というのも、ケは物に活力を与える外来の威霊であるからだ。ケに常(ふだん)という意味が強調されるのは、ハレと対応する形でなされるからで、本来の意味ではない。・・・(中略)・・・ ケが付着すると物は活力をおび、そのケが離れることがケガレ(気離れ・気がれ)であり、エネルギーがなくなる。その極点は死である。(谷川、同書、p32-33)


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