あえて青っぽい未成年に留まること
中島義道 ぐれる! 新潮新書 2003年
2015年4月12日 日曜日 晴れ
ぐれるとは、世間の嘘に全身で抵抗することでもある。「おまえにもいいところがあるんだよ。あなたも自信をもちなさい」という周囲の者どもの嘘八百を思い切り蹴っ飛ばし、徹底的に自分の無力を、魅力のなさを、運の悪さを・・・責めればいいのです。責めつづければいいのです。(同書、p95)
私は、ものわかりのいい中年がむかむかするほど嫌いなのです。その濁った目が、その干からびた唇が、その艶のない頬や首のたるみが、その肩を揺する笑い方が、そのねっとりと温和な口調が、そのどっしりとした安定した腰が、その成熟した・寛大な・清濁併せ呑む表情が、殴り倒したいほど嫌なのです。
ぐれるとは、こうならないこと、こうなることを警戒すること、こうなってしまう自分を恥じることです。つまり、ものわかりのいい温厚な中年になることを拒否すること。あえて青っぽい未成年に留まること、人生の理不尽を凝視してため息をついている・発育不全の・気持ち悪い人間に留まることです。(同書、p139-40)
ぐれるとは、現代日本の二大潮流である仕事中心主義にも家族中心主義にもなびかないこと。どうも、昨今は仕事中心主義を国民こぞって反省しはじめた結果、行き着く先は家族中心主義と決まっているようで、これを足蹴にしなければ「ぐれ道」は達成されない。(同書、p142)
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