また永遠に無になるという残酷な「あり方」
中島義道 「死」を哲学する 双書哲学塾 岩波書店 2007年
2015年4月13日 月曜日 晴れ
しかし、死の本来の恐ろしさは、無で「ある」ことではなく、なぜかいったん存在してしまったものが無に「なる」ところにあるのです。(同書、p14)
ここで、あらためて死に対する恐れを冷静に分析してみますと、主に次の三つの要因からなっているのではないでしょうか。
(1) 愛する人々と永遠に別れねばならないから。
(2) まだ、この人生でやりたいことがあるから。
(3) まだ、この人生で知りたいことがあるから。(同書、p14)
しかし、私の場合、死に対する恐れは、こうした要因とはほとんど関係ありません。・・・(中略)・・・ では、何がその恐れの中核に来るのか? 先ほどの残酷きわまりない構図のもとで生き、そして死ぬことのやりきれなさです。自分の不運を知ってしまった者の虚しさです。・・・(中略)・・・ずっと無であったのに、一瞬間だけ存在して、また永遠に無になる、という途方もなく残酷な「あり方」に対する虚しさです。自分がこれほどの残酷な運命に投げ込まれたことに対して、どうしても納得できないのです。こうした恨みにも似た感情が、私の人生を隅々まで彩っています。(同書、p15)
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