2020年3月6日 金曜日 晴れ
高橋昌明 武士の日本史 岩波新書 2018年
武士とはなんだろうかーー発生史的に
中世の武士と近世の武士
武器と戦闘
「武士道」をめぐってーー武士の精神史
近代日本に生まれた「武士」ーー増殖する虚像
日本は「武国」か
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日本の前近代の歴史は武士の降伏を決して否定していない。勇者もそうでない者もいて、はじめて人間の社会である。実質でみた時「武国」であった期間は短く、平安時代も江戸時代も長い平和な時代だった。(高橋、同書、p268)
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戦史が戦争を誤らせる ・・近代の軍人による軍の立場からの架空戦史の誕生が、近代の指導的軍人の思考と志向を縛り、史実とかけはなれた「戦訓」をもとに、現実の戦争を構想させ実際に実行する、という愚を犯させたかも知れないことである。
・・・(中略)・・・
・・戦争を叙述するのに、批判的な見地を放棄したり、国家の威信や指導的軍人の名誉を優先したりする戦史は、いよいよ架空の歴史に堕さざるをえないし、現実の戦争指導にとっても有害無益である。(高橋、同書、p230-231)
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新渡戸の『武士道』 ・・その徳目は士道に多少似てはいるものの、近世に存在した士道・武士道とはまったく別物である。そもそも彼は日本の歴史や文化に詳しくなかった。『葉隠』を読んだ形跡もない。第一『葉隠』はまだ世に知られていなかった。新渡戸の主張する武士道は、片々たる史実や習慣、倫理・道徳の断片をかき集め、脳裡にある「武士」像をふくらませて紡ぎ出した一種の創作である。しかも、戦闘から離れた、もはや武士とは縁の薄い一般道徳化している。(高橋、同書、p233)
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