literature & arts

ホルバインのマドンナ(マイヤー市長の聖母)そしてラファエロの(サン・シストの)マドンナ

2019年12月7日

アレクサンドラさん、・・あなたの顔には、そう、ドレスデンの美術館にあるホルバインの聖母像に似た、特別な影がありますよ。(亀山訳、白痴1、p187) Darmstadt Madonna, by Hans Holbein the Younger.jpg https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Darmstadt_Madonna,_by_Hans_Holbein_the_Younger.jpg

ホルバインの聖母

・・この絵へのドストエフスキーの関心が並々でないことを物語っている。たしかにこの聖母の顔は何かの悲しみに閉ざされており、その理由は彼女の抱く赤子が明らかに病身であるところから来ているらしい。ふつう聖母が抱くのはイエスであるが、この場合はマイヤー市長の病気の子供の治癒を祈願する意味がこめられていたらしい。しかし『キリストの屍』を描いたホルバインの筆が「病めるキリスト」とも受けとられかねない構図を選んだとも考えられる。(江川卓 謎とき『白痴』新潮選書 1994年、p14)

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 『システィーナの聖母』(システィーナのせいぼ、伊: Madonna Sistina, 独: Sixtinische Madonna)あるいは『サン・シストの聖母https://ja.wikipedia.org/wiki/システィーナの聖母


https://ja.wikipedia.org/wiki/システィーナの聖母#/media/File:RAFAEL_-_Madonna_Sixtina_(Gemäldegalerie_Alter_Meister,_Dresden,_1513-14._Óleo_sobre_lienzo,_265_x_196_cm).jpg
システィーナの聖母』(システィーナのせいぼ、伊: Madonna Sistina, 独: Sixtinische Madonna)あるいは『サン・シストの聖母』は、盛期ルネサンスの巨匠ラファエロ・サンティが、その晩年1513年から1514年頃に描いた絵画。祭壇画の一翼として描かれ、ラファエロが描いた最後の聖母マリアであり、ラファエロが自身だけで完成させた最後の絵画でもある。1754年にドイツのドレスデンに持ち込まれ、その後ドイツの美術界に大きな影響を与え続けた。第二次世界大戦後にモスクワへと持ち去られたが、10年後にドイツに返還されて、現在はアルテ・マイスター絵画館 https://ja.wikipedia.org/wiki/アルテ・マイスター絵画館 の最重要なコレクションの一つになっている。
Remastered color   https://commons.wikimedia.org/wiki/File:RAFAEL_-_Madonna_Sixtina_(Gemäldegalerie_Alter_Meister,_Dresden,_1513-14._Óleo_sobre_lienzo,_265_x_196_cm).jpg#/media/File:RAFAEL_-_Madonna_Sixtina_(Gemäldegalerie_Alter_Meister,_Dresden,_1513-14._Óleo_sobre_lienzo,_265_x_196_cm)FXD.jpg


画面下部に描かれた天使https://ja.wikipedia.org/wiki/システィーナの聖母#/media/File:Sanzio,_Raffaello_-_Putti_(Madonna_Sistina)_-_1512-1513.jpg

システィーナの聖母

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