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今年こそ花を見ようと、思いながら、ーー考えてみると庭の花を見るいとまもなかった。

2026年1月19日 月曜日 曇り

山本周五郎 栄花物語 新潮文庫 (オリジナルは1953年)

 ・・「いや騒がないほうがいい」意次は頭を振った、「年をとると天運寿命ということを考えるようになる、寿命があれば毒を盛られても免れるが、命数が尽きれば落ちてきた瓦で死ぬこともある、覘(ねら)われて運がなければ、金城鉄桶(きんじょうてつとう)も役には立たないだろう」・・・(中略)・・・「幕府の経済はもとより、武家生活のぜんたいがしだいに窮迫してゆく、そのもっとも根本的な問題は商業資本の膨張だ、しかも、それはもう政治的な圧迫などでは抑えきれない状態になっている、かれらに対抗し、幕府百年の経済的安定を計るには、幕府のそのものを商人会所にする勇気が必要だ、ーーあの人たちにはそこがわからない、・・財政の緊縮と士風を粛正するだけで、この状態が寛永の昔にかえると思っているのだ、・・(山本、同書、p210)

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 ・・ ーー金銀会所と、ロシアとの交易開始と、印旛沼、手賀沼の干拓の三項だけは、命さえあったらぜひ閣議をとおしたい。  それにはいずれも大きな困難がともなう、金銀会所はのちの国立銀行に当たるものであった。幕府、諸侯、富豪商人の三者から資金を集め、これを会所で運営し、貸し付ける。そうしてそこからあがる金利を、出資額に応じて三者に分配するのである。(山本、同書、p225)

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 ・・御計画中の新しい政策には、・・しかも、それは侯を措いてはなし得ない、御自分のほかにそれをする者がないということを知っていればこそ、あらぬ誹謗をも忍び、刺客のいる狩場へも来られた、ーー私どもはこのことをよく覚えておこう、あらゆる非難攻撃にも耐え、死の危険をも避けようとなさらない侯のために、私どもも一身の安否や栄辱にとらわれてはならないと思う」  お滝は泣き止んでいた。十兵衛の言葉の意味よりも、その静かな調子で心がなだめられたようである。 (山本、同書、p277)

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 ・・おれはどちらかの共犯者にならなければならなかった、そしてその一方を選んだのだ、・・この事実の上に立って、ここから歩きだすよりほかに途はないんだ。(山本、同書、p298)

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 ・・擡頭する商業資本のまえに政治権力は、ほとんど無力になってきている。これを見こして、意次は、幕府が主導権をもった諸会所ーーたとえば「絹物会所」「金銀会所」「貸金会所」ーーを設置し、商業資本がのびてきてもこれに対応できるように、幕府の機能をととのえようとした。このような新解釈のうえに、田沼意次、意知(おきとも)父子(おやこ)は、まったく新しい姿で、あらわれてきたのである。

・・・(中略)・・・

・・「もう忘れるほどの昔から、来る年も来る年も、今年こそ花を見ようと、思いながら、ーー考えてみると庭の花を見るいとまもなかった、これは御奉公大事というよりも、私自身の好みかもしれない、ーーこれからも、生きている限り、こういう生活が続いてゆくことだろう、こういう生活のほかに、私には生きることができないのかもしrない」・・・(中略)・・・意次は、・・困難はわかりきった幕府機能の改革に、たちむかった。(『樅の木は残った』の原田甲斐の場合とは)ちがいはあるが、置かれたシチュエーションは、他をたのむことができない孤独なもので、しかもむくわれることも期待できないものであった。(山田宗睦、同書巻末解説、p636-637;昭和47年)

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補註: ウィキペディアによると・・<以下引用> 柳沢・間部の職が側用人のみで正式の老中には就任していなかった(柳沢は老中格→大老格)ことと異なり、田沼は老中も兼ねていた。将軍の取次役である側用人が処罰されることはないが(将軍の政治責任を問うことになってしまうため)、老中は失政の責任を問われるためしばしば処罰を受けていた。<以上、引用終わり>

補註: 「金城鉄桶(きんじょうてっとう)」とは、守りが非常に堅く、容易に敵に攻め落とされない城や要塞のたとえ。 一般的には「金城鉄壁(きんじょうてっぺき)」や「金城湯池(きんじょうとうち)」という四字熟語が使われることが多く、これらと同義。

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