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個人化した人々はそれぞれに孤立化を深め、社会集団としての名を与えられることもなく、各自のつらさを生きている。

2021年12月25日 土曜日 晴れ

小浜逸郎 ポリコレ過剰社会 扶桑社新書416 2020年12月下旬発行

左翼リベラルの堕落と退廃

・・労働組合運動の低迷の過程をたどってみると、バブル期に向かうころに形成された「豊かさ」の感覚とそれに伴う「個人化」の傾向が、連帯して生活難を乗り切ろうとする社会心理をいかに崩壊させていったかがわかる。・・現実には、今の政権はグローバル化に完全に頭をやられてしまい、若年層を中心とした国民生活をさんざん苦しめている。つまりこれは、労働組合や左翼政党が、労働者の暮らしの改善を目指して活動すべき条件が十分に復活していることを意味する。

 それなのに、左翼政党は権力と対抗すべき政治課題の焦点をそこに集めようとせず、個人アイデンティティの問題、つまり差別問題ばかり取り上げる。労働組合運動の低迷と調子を合わせて、あたかも貧困問題による弱者などは存在しないかのような顔をしている。

 個人化した人々はそれぞれに孤立化を深め、社会集団としての名を与えられることもなく、各自のつらさを生きている。じつは、多数を占める彼らこそが、弱者の名にふさわしい。彼らはグローバリズム権力の犠牲者なのだ。

 左派は、しかし、彼らを視野に収めず、特定の符牒を帯びた弱者だけを「弱者」としてノミネートする。これは左翼リベラルの堕落であり、退廃である。(小浜、同書、p181-182)

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   ・・これはあえて名付けるなら、「反差別」全体主義である。

   ・・いずれにしても、事がこうなったからには、かつての私のささやかな努力など、もはや完敗を喫したといわざるを得ない。やれやれ、この新しい状況の中で、その新しさに即して、もう一度、腰をあげなくてはならない。(小浜、同書、p4)

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 ・・「それはちょっとおかしいんじゃないか」とか、「それは行きすぎじゃないか」とか、「この場合はもう少し具体的な状況に即して考えてみよう」などの冷静な違和や疑問の声は、同調圧力に屈しない勇気ある本音を表明している場合が多いのである。(小浜、同書、p156)

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