philosophy

哲学実技:偉くなってはならない

真実を語りつづけよ: ほんとうのこと vs きれいごと

偉くなってはならない

中島義道 「哲学実技」のすすめーーーそして誰もいなくなった・・・ 角川oneテーマ21 2000年(キンドル版は2014年)

2015年3月30日 月曜日 晴れ

「乞食と大学教授は三日やったらやめられない」と言われているように、たしかにこの職はラクなところが多い。・・・ぼくは、どうしてもこの自由を手放したくないのだ。もちろんん、ここにゴマカシがあることは知っている。こんなラクな職場にいて、給料をもらっていいのだろうか、という自責の念に駆られることもある。だが、ぼくが大学をやめてもやはり別のたぶんもっと大きなゴマカシに陥るだろうから、つまり大学をやめても「よりよく生きる」ことができる気もしないから、さしあたりここに留まっているんだよ。(同書、キンドル版 87% より引用)

先生が、「偉くなる」ことにそれだけ嫌悪を表明しているのは、いま自分がりっぱな仕事をしていないことに対するひけめではないですか?(同書、91%)

ぼくがとくに「偉い」という言葉で意味しているのは、組織の中で責任ある地位につくこと、それを通じて他人を支配できるということだ。そして、それはたいへん魅力的なものでもあるし、有形無形の報い(その中の最大の報いは「偉い」と評価されることだ)があるからこそ、同時にその魔力に警戒しなくてはならないということさ。組織を愛するあまりに、いや組織の中の自分を愛するあまりに、肉体の言葉、「からだ」の言葉を希薄化してしまいがちだということさ。・・・(中略)・・・結果として称賛されても、その称賛はその人を蝕むと思う。だからといって称賛を避けろというわけではない。あらゆる称賛には慢心という黒い影がついて回るのさ。 ぼくは「みんなに喜んでもらえるだけでいい」という俳優や歌手や料理人の言葉を信じない。彼らは称賛されることによって、みんなに喜んでもらえ、かつみずからの才能を技術を、いやみずからの存在を確認することができるがゆえに、嬉しいのだ。つまり、「慢心」とはこのことなのだ。むやみやたらと威張り散らすことではない。ジワジワと体内に広がる満足に、すでに黒い雲が広がっていると言いたいのだ。・・・(中略)・・・ つまり、どう足掻いても逃げ道はないんだ。それが生きるということだと思っているんだけれど。わかってもらえるだろうか?(同書、91-2%)

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