agriculture

大石堰と山田堰

2019年12月29日 日曜日 曇り

富山和子 日本の米 環境と文化はかく作られた 中公新書 1993年

大石堰 ・・畳一畳もある大石を、川幅いっぱいに敷き詰め、積み上げた総石張りの斜め堰が誕生する。斜め堰とは川に対して直角に築かず、斜めに三角状に築いたゆるやかな堰である。以来三〇〇年、石の斜め堰は筑後川の川底にあって激流に耐えながら、左岸に広がる砂礫の原野を沃野に変え、緑の穀倉を育て続けた。(富山、同書、p123)

五庄屋の大石堰: 「ただし、万一水が通ぜず、事業が不成功に終わったら、五人の庄屋どもを長野水道所にて磔にする」と。(富山、同書、p121)

**

山田堰 ・・藩営の事業ではあるが、費用は農民の負担であった。 この堰が二〇〇年間生きつづけてきたということは、嵐のたび洪水のたび補修し作り直しながら、絶えず管理しつづけてきた農民たちの労働が、そこに蓄積されているということであった。その水が、堀川の水であり、その水が、二連水車、三連水車の揚げている水である。その水は、水田からやがて地下に浸透して地下水となり、また川へ出て川の水になる。その水は、海へ出てアオになり、またクリークの水になり、再び大地を養ったのち、また川へ戻される。(富山、同書、p124-125)

山田堰(ウィキペディアから引用)

**

三連水車

*****

********************************************

RELATED POST