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三遊亭金馬 浮世断語

2019年2月2日 土曜日 晴れ


三遊亭金馬 浮世断語 河出文庫 2008年(オリジナルは1959年=昭和34年)


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地虫:
 土手べりに江戸をながむる蛙かな  信州の一茶の句である。・・・(中略)・・・・・地虫穴をでる。噺家もいいかげんに冬眠から目覚めなくてはならないと思う。 がま口を忘れて何もかわずかな (金馬、同書、p249)

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馬:
  ・・はな鹿が馬の話。これが本当の馬鹿な話。(金馬、同書、p243)(補註:はな鹿=噺家、蛇足で申し訳ない・・)


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無駄:


 戦時中は、橋の欄干も無駄だ、あんなものがなくなっても落ちる奴が悪い。第一にこんなくだらない話をする咄家が無駄であるからと、徴用して軍需工場へ使ってみたが、お喋りばかりしていて何の役にも立たない。・・・(中略)・・・ 広い世の中からみると、われわれ咄家は無駄なものかもしれない。この咄家がないから淋しいと悲観して死ぬ人もなし、また、咄家が多過ぎてじゃまで歩けないというほどは咄家もいない。・・・(中略)・・・ぼくみたいなどっちつかずでぶらぶらしている火事場泥棒みたいな鳥なき里の蝙蝠、きれいなことばでいえばフリーランサーが七,八人。(金馬、同書、p251)

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 居酒屋の飲み歩き、場末の安待合で遊んだり、三代目小さん師匠に、往来の馬糞をとってきて落語といっしょに朝顔の大輪の作り方も教えていただいた。 

何の芝居か忘れたが、死んだ左升という役者が老け役で朝顔の種をとって紙の袋へ入れている。

「その年で、そんなことは若い者にさせて遊んでいなさい」といわれて、

「この種をとっておいても来年は見られないかもしれないが、私が見られなければ若い者が見るでしょう」

といっていた。そのうまかったこと。

でき秋は雨か嵐か知らねども   今日のつとめに田の草を取る

この老人の朝顔の種も無駄ではないのだ。昔の咄家は無駄咄がうまくなければいけないとよくいった。

「長く無駄咄をして済みません。さようなら」と帰ったあとで、

「あの人の咄は面白いねえ」といわれるのは決して無駄ではなかったのだ。

落語のなかにもこの無駄を生かせ、とよく先輩がいったものだ。(金馬、同書、p254-255)


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