学ぶこと問うこと

標的化治療研究10年目

 

10年目の節目を迎えた、私の標的化遺伝子治療:

ファイバー変異型アデノウイルスの実験計画

 

2005年4月7日

 

昔のノートを見返すのは、後ろ向きでいかにも心苦しい。が、今回、Y先生との共同研究の論文のメソッドを記載する必要に迫られ、昔の自分のノートを引っ張り出してきた。索引が(この頃の私のノートでは)不十分で、どこに何が有るか、調べるのは難しい。ノート43、960413の記載に、見つけた!! ファイバーへの変異導入、(矢印して)、組織ターゲティング、となっている。すなわち、この日が、ファイバー変異型アデノウイルスの実験計画の発想の実現化し始めた日付らしい。ちょうど今から9年前だ。割と先進的で、シャフトの代わりに何か上手な3量体に置き換えたい、とも書いてある(これは、ライバルのキュリエル先生たちが今から数年前にがっちり成功、立派だ。私は、手も付けられなかった。)。具体的に手を動かして始めたのが同年の4月20日。目標として、960424の記載にはメラノーマのターゲティングからねらう旨、ちゃんと記載がある。

 

この後、コスミドを扱うのが難しく、アデノウイルスゲノムの右端の全長を自分でPCR作製し、最近では左端の33bpもPCRで補って、なんとかベクターシステムは完成。PacI制限酵素で両端を切って、単独で使える、pAx3ないしpAx3-FZ33プラスミドたちは、私たちが到達している、とりあえずの進化完了形である。東京の癌研時代、30-40kbp辺りの長大なプラスミド作りの一般的な方法を樹立できたお祝いに、吉田さんとトリアノン(サンシャイン60のてっぺん)にお昼を食べにいったのだ。が、不幸なことに、そのときのシャンパン1杯で、私の心臓はPAT(心房性の頻拍発作です)、・・・恐らく、このプロジェクトの開始の翌年、8年前ぐらいのことと思う。この頃は、この持病の頻回の発作に苦しみながら、難しいプラスミドを自らの手でミニプレップしていたのだ。ストレス多き、K12株の香りかぐわしき、私の遅咲きの青春(?)時代である。今ではだれでもできるコスミド作りだが、シャロミドの重複配列に祟られて、それを乗り越えるのに、きわめてきびしいテクニカルな試練が有ったのである。pAx3は、pWE15コスミドバックボーンなので、この辺りの苦労はなんにもない。これがなかったら今でも毎回苦労しているだろう。また、心臓の方も、土浦協同病院の家坂先生にアブレーション手術を施して頂き、とたんにすっかり治ってしまったのである。この手術がなかったら、とても今、部員とニセコの山でスキーのスピードで張り合うことなど不可能であっただろう。

 

で、10年目が始まる。実に、過去9年、この私のメジャープロジェクトで、いっぱい苦労させて頂いたが、何ら世界に誇れるような、患者の治療の役に立てるような、本質的な成果を挙げられなかったのである。しかし、やっと、本当に一つ目の成果が、膵癌の標的化で得られそうだ。N先生が、ついに、やったかもしれないのだ。次も、次も、またその次も、N先生が決めてくれると、・・・やっと、いよいよこれからが収穫期の始まり、と思う。メラノーマの標的化も、ひょっとするとこれから1年の間に成功するかもしれない。頑張ってくれ、Hさん、S君、N先生。新人のTさん、学部学生のTaクン、Toくん、にも極めて高い期待をかけている私であった、・・・ほんの今週から来始めたばかりではあるが。

 

もし、この10年目で成功したなら、来年の1月には来賓でYさんをお迎えして、盛大にニセコ・スキー合宿でお祝いしよう、と、早くも私は計画しているのであった。

 

本当は4月1日に書くべき、私からのむちゃくちゃ楽観的な部員へのエールでした。ま、あきらめないで、きっとうまくいくと信じて、免疫沈降・質量分析、続けましょう。

 

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以上、10年目の節目を迎えた、私の標的化遺伝子治療: ファイバー変異型アデノウイルスの実験計画

2005年4月7日付けのWEBページより再掲

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