biography

支那事変と新体制運動をしかけた張本人の風見が戦犯になっていない。自虐史観と謝罪外交の元祖たる風見の戦後。

2022年12月16日 金曜日 雪

林千勝 近衛文麿 野望と挫折 WAC 2017年

林千勝 チャンネル桜・大学 講座「林千勝のこれが本当の近現代史」https://sakura-daigaku.jp/kouza/ 補註: 2022年12月16日現在で講座は第76回まで配信済み。多くのことを教えられました。皆さまにお勧めしたいと思います。

 ・・風見や尾崎は完全なコミュニストです。近衛も若い頃社会主義に理想をみて反英米を主張しました。・・近衛は風見や尾崎など共産主義者たちを政権中枢に入れたのです。彼らが、支那事変から対米英戦でめざしたのは、レーニンの「革命的祖国敗北主義」、つまり「帝国主義戦争を内乱(革命)に転化せよ」というスローガンにもとづいて敗戦革命へのレールを敷くことでした。  風見は、近衛とともにコミンテルンの意向にそった動きを巧妙かつ大胆に行ったのです。世界の共産主義陣営の風見に対する評価は不動のものとなりました。彼は戦後ふたたび果敢に活動しはじめます。(林、同書、p376)

 ・・支那事変と新体制運動をしかけた張本人の風見が戦犯になっていないことは実におかしなことです。白洲やノーマンらの計らいと工作があったからでしょうし、国際共産主義者たちの意向でしょう。白洲が西園寺(公一;きんかず)や牛場と連絡をとりあっていたこともわかります。(林、同書、p378)

・・風見の中国共産党とのパイプが、戦後のわが国の謝罪外交の基礎をつくり、かつ左翼反米運動の基本的な構図をうちたてたのです。(林、同書、p382)

・・叙正三位、叙勲一等授瑞宝章です。  これが残念ながら歴史が見えていない日本の姿です。  ・・風見が企図した日本国民の厖大な犠牲、決して許されることではありません。(林、同書、p382)

・・自虐史観と謝罪外交の元祖たる風見の戦後の「事績」は、そもそも近衛が風見を内閣書記官長に抜擢したことからもたらされた置き土産です。  さらに風見の抜擢は、反日分子がそ知らぬ顔で政権中枢に入り込むということが現代日本で繰り返されているとしたら、そのさきがけあるいは原型となっていたのです。  その意味でいまもわたしたちは風見後遺症に悩まされているのです。  ・・昭和史における風見という革命児の存在はきわめて弊害が大きくて抜き差しならないものです。  

 われわれ日本人はこのような教訓をふまえながら、もういちど真剣にみずからの近現代史を見つめ直さなければなりません。  近現代史を見つめ直し、背筋が寒くなる思いとわれわれ自身の迂闊さへの気づきを共有することが必要なのです。(林、同書、p383)

補註: 「支那事変と新体制運動をしかけた張本人の風見が戦犯になっていない」・・この不思議を理解するためにも上記の林さんの三角図が役立ちます。2つの上半身が対立しながらも根っこ(足腰)が一つなのです。
上記の記事もご参照ください。https://quercus-mikasa.com/archives/13212

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