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学校からの逸脱は当然

2021年8月20日 金曜日 晴れ

小浜逸郎 子どもは親が教育しろ! 草思社 1997年

・・「大人−子ども」関係のあり方は、歴史的につくられるものだ。・・「学校」という、近代がつくりだした子どもから大人への通過装置は、すべての子どもにそれが適用されるようになった瞬間から、おかしくなりはじめた。完成されたとみなされたころから、内部崩壊のきざしを見せはじめたのである。

 いまの中学校上級から高校ぐらいの子どもたちは、この「学校−家庭」という大人−子ども関係の枠組みから、じつにさまざまな逸脱を試みる。

 社会的な事件として噴きだすいじめや不登校や非行などは氷山の一角というべきで、その基盤には、ごく普通の子どもたちの「倦怠と飽き」の気分の蔓延という現象が存在する。かれらはその気分を、「授業無視」というかたちで表現する。(小浜、同書、p92-93)

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 教育とは、・・本来は親が最終責任をもつべきものである。教育は、もともと養育の一部に過ぎない。(小浜、同書、p179)

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 まず第一に、もっと「超学校」的立場に立たなくてはならない。学校は子どもの生活のごく一部分である。これからはますますそうなるべきだ。(小浜、同書、p183)

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