literature & arts

文学はすべからく人間と人生の全面的な真実を描こうと目指すべきだ。

2021年12月21日 火曜日

行方昭夫 英文精読術 Red (William Somerset Maugham)  DHC 2015年 (原著 Red (William Somerset Maugham) は1921年だからちょうど100年前の小説)

・・モームの同世代の英作家オールダス・ハックスレイの『悲劇と全面的真実』というエッセイでの主張、つまり文学はすべからく人間、人生の部分的な真実でなく、全面的な真実を描こうと目指すべきだという見解。(行方、同書、RED日本語訳の解説、巻末のp26)

・・全面的真実を描くという観点から、『赤毛』を検討したわけです。すると、「作品の前半か後半かの一方だけに力点を置くのは、部分的真実を描くことになる。モームは前半も後半も共に、一篇の部分であり、読者には両方を総合的に受け取ってほしいと願ったに違いない」と思えてきたのです。(行方、同、p26)

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モームは、彼自身が体験したことのない相思相愛の理想に対して、ある時は憧れたのですが、ある時は、自分には無理だと知って、イソップ物語の『酸っぱい葡萄』の狐のような姿勢を取っています。・・・(中略)・・・しかし、狐は本当は葡萄が好きで食べたいのです。モームも同じなのです。(行方、同、p27)

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抒情的な文章の苦手なモームがここまでロマンチックに書けたのは、できるものなら自分も生涯に一度でいいから実現したかった憧憬、夢が、我にもあらず出てしまったからではありませんか? ・・・(中略)・・・モームはニールセンの口を借りて、自分の胸の奥深くに隠していた、相思相愛への憧れを表現したのだと思います。

・・『赤毛』という作品は、相思相愛の美しさも、儚さも、かなわぬ恋の辛さも、無理な片思いの無念と心のときめきも、一生続く恋心の哀れさも、およそ恋についての、あらゆる面をバランスよく描いた傑作だということです。(行方、同書、p27〜28)

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作者モームはサリーをナポリ博物館のプシュケー像にたとえています。

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作者モームはレッドをプラクシテレス作のアポロ像にたとえています。

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