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道路を意味する道が、道徳・道術のような、精神的な意味を獲得する過程

道徳・道術は、いずれも道路の祓い、先導儀礼に関する字であることが知られる。このような古代の先導儀礼から、道徳や道術という概念が生まれてくるのは、語義がその原初の具象性をすてて、しだいに抽象化されてゆくということである。(白川、文化、p268)

道徳は実践的な規範のすべてを含み、道術は思弁的方法の全体を含む語として用いられている。そのような語義が定着したのは、戦国末のことであろう。いずれも道という語の展開したものであるが、かつては犠牲を埋め、呪儀を施すところとして畏れられた外への通路が、やがては文化が接触し、政治経済の活動の動脈となり、また一方では規範や存在についての重要な概念を形成してゆく過程は、それだけでも一書をなすに足る問題をもっている。「道の文化史」があるように、「道の精神史」もありうるのである。
 道路を意味する道が、道徳・道術のような、精神的な意味を獲得する過程をたどることは、容易ではない。・・・以下略・・・(白川、同書、p270)

道を当為や真理の意味に用いたのは、「論語」が最初であろう。
 朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり(「里仁」)
 道に志し、徳により、仁に依り、藝にあそぶ(「述而」)
 ・・・(中略)・・・
 これらはみな、孔子の語として伝えられるものである。道が行われるか否かは、天命による。徳の思想は、天命との関連において成立するが、そのような思想の組織者は、孔子であった。思想は、原初の具象を捨てて、意味の世界を追究することにおいて成り立つのである(白川、文化、p272)

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