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真の理法とは、反対側の負けも不成功とともに引き受けるものではないか。

2019年7月10日 水曜日 晴れ(陽射し強いが、ブドウ畑には風が通る)

 ・・源重実殿が、私の腕を称賛したあと、私の流鏑馬には、惜しいかな、一つの欠点がある、それは鏑矢がすべて当たるということだ、と言った。重実殿は、矢が当たる当たらぬは実は二の次のことで、大事なのは、矢を射ることが好きだということ、当たるのも喜び、当たらぬも喜ぶのが、真の風雅だ、と説明したのである。 ・・・ もしこの世のすべてのことが、勝ちと負け、成功と不成功から成るなら、真(まこと)の理法(ことわり)とは、勝ちだけ、成功だけではなく、反対側の負けも不成功もともに引き受けるものではないか。この世から事が成る成らぬの考え方を棄て、ただこの世に在ることの喜びに生きることではないか。そのときはじめて御仏の説く殺サズ犯サズの心が生まれ得るのではないか。・・・ その瞬間、私は思わず、

 心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮

 と呟いたのである。(辻邦生 西行花伝 p480-481)

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