culture & history

キリスト教文明の「破壊する力」

2022年9月20日 火曜日 雨

馬渕睦夫 いま本当に伝えたい感動的な「日本」の力 総和社 平成24年(2012年)

キリスト教文明の「破壊する力」

「破壊する力」とは、どのような力でしょうか。身近な歴史の例を挙げれば、「破壊する力」とは、西洋の植民地主義者の弱肉強食の力の論理であり、一神教的な対立世界観に基づく権力政治の論理です。

16世紀のスペインによるラテン・アメリカ征服の歴史は、キリスト教文明の「破壊する力」の罪悪を余すところなく私たちに伝えてくれています。彼らスペイン人たちは、遅れた原住民をキリスト教化するという美名の下に次々とラテン・アメリカ諸国に征服戦争を仕掛け、金銀財宝を略奪し、無抵抗な原住民を容赦なく虐殺し、平和に暮らしていた諸王国を破壊しつくしました。(馬渕、同書、p109)

**

・・ところで、「破壊する力」は何も植民地時代になって現れたものではありません。既に今から三千年も前に旧約聖書は、信仰が「破壊する力」を発揮する様子を悪びれることなくむしろ誇らしげに称えています。

・・(モーゼの)後をヨシュアが引き継いで、ヨルダン川沿いのカナンの要塞都市エリコを襲撃することになります。・・ヨシュアたちは「男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ロバに至るまで町の中にあるものはことごとく剣にかけて亡ぼしつくした(新共同訳)」のです。これを大虐殺と言わずして何と説明できるでしょうか。自らが信仰する唯一神の命令であるならば、いかに残虐な行為であってもなんら良心の痛みを感じることなくやってのけるということなのです。このような発想は私たち日本人にはとても許容できないでしょう。

・・ヨシュアは攻略成功後、エリコの町を再建しようとする者は神の呪いを受けると誓いを立てます。(馬渕、同書、p110-111)

**

*****

*********************************

RELATED POST