神話と思想:
神話はそれを経典として固定化し、あるいはたんに否定することによって、その生命を終わるべきものではない。神話的思考の様式はその民族文化の根源にあるものとして、つねに回帰的に復活するものでなければならない。その意味で荘子もまた、神話の問題に参与するのである。(白川、文化、p300)
ことばは容易に概念を固定化させるものである。無を説くときにおいても、無は一つの限定である。その限定を超えるには、無無というほかない。・・・(中略)・・・しかし無無無というものもまた、概念的思惟であることを免れない。実在は混沌たるもので、規定することのできないものである。この混沌たるものを無規定的に論ずるとすれば、できるだけ概念化を拒否する方法によるべきである。それで荘子は、その思想を表現するのに、理性的思惟の介入を拒否する寓言(ぐうげん)を用いた。それは一種の象徴的、詩的な方法であった。
寓言的な表現のもっとも有力な素材は、神話である。神話は、その構想そのもののうちに、意味をもつからである。「荘子」巻頭の「大鵬南遊」の話も、おそらく神話にもとづくものであろう。絶対自由の世界を、人間の行為において語ることはできない。(白川、文化、p301)
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