2020年12月24日 木曜日 曇り時々雨
「戦争が終ったら、こんどはまた急に何々主義だの、何々主義だの、あさましく騒ぎまわって、演説なんかしているけれども、私は何一つ信用できない気持です。主義も、思想も、へったくれも要らない。男は嘘をつく事をやめて、女は慾を捨てたら、それでもう日本の新しい建設が出来ると思う。」(太宰治 嘘 ちくま文庫版太宰治全集8 より引用)
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補註: 太宰治『嘘』を読み解くための、私からの若干のヒント(恐らく多くの読者にはまったく不要):
たとえば、太宰治・ちくま文庫版太宰治全集5の『帰去来』p303 には以下のような一節が何気なしに書き添えられている:
・・私たちは汽車に乗った。二等である。相当こんでいた。・・・(中略)・・・私はジョルジュ・シメノンという人の探偵小説を読みはじめた。私は長い汽車の旅にはなるべく探偵小説を読む事にしている。汽車の中で、プロレゴーメナなどを読む気はしない。<以上、引用終わり>
つまり、太宰は探偵小説を読むのも好きだったようだ。一方で、やはりカントの哲学も書斎などでは読んでいたことであろう。
話変わってこの『嘘』という小説では、カントの「たとえ友人(ないしこの場合は夫)を救うためであったとしても、嘘をつくことは許されるか?」という哲学的問いかけをちょっぴり思いうかべないであろうか。お思いうかべになられた読者諸兄の皆様に、この『嘘』という小説を楽しく読解するためのヒントとして私は忠告したいのである: 「カントを忘れよ。夜空の星を見上げず、冷静に今手にしている縫い物の針先を見よ」、と。それでもカント哲学への興味を捨てられない方々は、是非、たとえば小浜逸郎さんの『誤解された十三人の思想家』や『倫理の起源』に詳しく解説されてあるカント哲学の項をお読みいただき、参考にしていただきたい。(もちろん、中島義道さんの多くのカント本を読むのもありです。が、太宰治『嘘』のトリックを読み解けなくなる危険があるかと思います。)
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2021年3月16日HH追記 太宰の「舌切雀」ちくま文庫版太宰治全集7巻、p425-6より<以下引用> ・・うちのお婆さんなど、おれみたいな者ともう十何年も連れ添うて来たのだから、いい加減に世間の慾を捨てているかと思っていたら、どうもそうでもないらしい。まだあれで、何か色気があるらしいんだね。それが可笑しくて、ついひとりで噴き出したような次第だ。https://quercus-mikasa.com/archives/11930
補註: ここでも「男は嘘をつく事をやめて、女は慾を捨てたら、それでもう日本の新しい建設が出来ると思う。」と呼応して、女の慾を描いている。
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