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旧暦一月十五日、元宵節

2016年4月14日 木曜日 朝は霧、のち霧晴れて明るい曇り。

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年 p29-31

陳烈(宋の時代、福州の街の大灯籠に、一篇の詩が落書きふうに書きつけられていた)

風流の太守 知るや知らずや
唯だ恨む 笙歌(しょうか)に妙曲なきを

風流の太守、それは福州の長官劉瑾(りゅうきん)。元宵節をにぎやかに祝うため、各戸ごとにおわん十杯分の灯籠の油を供出するよう、命令を下した。(一海、同書、p31)

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補注 元宵節 ウィキペディアによると・・・
元宵節(げんしょうせつ)は、正月の望の日(満月の日、旧暦一月十五日。日本でいうところの小正月にあたる)を祝う中華圏での習慣である。正月は別に元月とも称され、元月の最初の宵(夜)であることより元宵節と命名された。過年は元宵節を迎えて終了する重要な一日である。
 元宵節の由来は漢代にまでさかのぼることができる。漢朝の実権を掌握した呂后が崩御すると国内では諸呂の乱が発生、これを平定した陳平等により劉桓が皇帝に推戴された。反乱平定を達成したのが正月15日であったことより、以降皇帝は毎年この日に宮殿を出て民衆と共に祝賀したことに由来する。この日を文帝により元宵節或いは元夜、元夕と命名された。
また道教も元宵節に大きな影響を与えている。道教における三元神、即ち上元天官、中元地官、下元水官をそれぞれ正月15日、7月15日、10月15日に割り当て、それぞれ上元節、中元節、下元節として祭祀が行われ、そのため元宵節は上元節とも称される。元宵節に天官を祭祀するにあたり、人々はランタンを作り華やかな雰囲気を創出し吉祥、邪気払いを行っていた。これらの宗教性が次第に希薄になったが、現在でも元宵節には色とりどりのランタンが用いられ、そのため灯節とも称される。『史記』楽書には漢武帝の時代には、元宵節には太一神の祭祀が行われていたと記載され、夜通しランタンが灯されていたと記載されている。
元宵節が民間の風俗となったのは仏教の影響を受けた後である。後漢になると仏教が中国に伝播し、明帝の時代には蔡愔がインドより帰国しインドでは正月15日に仏舎利を祭ることを伝えたことによる。仏教では灯明が仏具に用いられていたため、元宵節には各寺院で灯明を灯し法会を開くようになった。(以上、ウィキペディアより引用)

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