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土壌が生態循環と水循環の橋渡しをしている。

室田武 エネルギーとエントロピーの経済学 石油文明からの飛躍 東経選書(東洋経済3168)1979年
開放定常系としての地球:

 ・・植物と動物を含む生態系を定常的に維持しているのは土壌であり、これによってはじめて、植物→動物→土壌(微生物)→植物という生態循環が可能となるのである。
 生態系は、水循環を持つ地球という大きな開放定常系の中にあるからこそ、自らを開放定常系に保っているわけであり、閉じた系の中に開放定常系は存在しえない。そして、そのような生態循環と水循環の橋渡しをしているのが土壌であり、これが生命活動を支えている。このように水と土とが生物にとって、したがって人間にとって基本的に重要であることが、日本の歴史のいくつかの局面にあっては次のように認識されていた。すなわち、ものを積極的に土に還し、水に流す、という原則である。・・(中略)・・エントロピーの吸収者としての水の役割が明らかになった今、私達は・・(中略)・・生物の生命活動のマクロ的な意義を正確に把握し、・・開放定常系として「生きている」地球を認識すべき地点に立っている。(室田、同書、p58-59)
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原子力発電のエネルギーコスト:
・・電力生産の方法として原子力発電は火力発電よりも石油節約的であるという保証はなく、しかも放射能汚染を不可避的につくりだす技術なのである。さらに、それは、石油の他にウランに内在する核エネルギーをも熱エネルギーとして顕在化させるという意味において、火力よりたくさんの熱を用いる技術であるために、火力より重大な熱汚染源となることに注意しよう。 (室田、同書、p80-81)
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水と土に根ざす技術と文化に向けて:
・・このように、被収奪地と収奪地はともに土壌を殺して水不足を加速し、砂漠化の道をたどらざるをえないのである。・・・(中略)・・・(日本経済が)穀物と材木の半分以上を輸入しながら、依然として工業製品の輸出に期待をかけ、そのことによってますます前者の輸入を増やすという悪循環(室田、同書、p127)・・将来を見通した人々は、オーガニック・ファーミング(有機農法)に転じつつある。日本においても、こうした動きに敏感な地方自治体のいくつかは堆肥づくりなどに熱心になっているが、一方で、減反、農地の宅地並み課税、流域下水道建設などの砂漠化政策を進めながら、他方で堆肥づくりをうたうような行政レベルの対策に期待できるものは少ない。私たち一人一人が、主体的に生活の改革に取り組まねばならない時代が到来しているのである。(室田、同書、p128)
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補註 著者の室田氏はこの本の出版当時、35歳の若手経済学者(一橋大学の助教授)だ。
 私が思うに、この著書の中で、情報として欠けている事柄として、「石油文明のキーとなる石油・天然ガスが、現時点でどのような形でどれほど存在するか」という問いに対する客観的科学的な情報が挙げられる。恐らく、残念ながら室田氏自身、当時(そして今も)、正確な情報をお持ちにならないであろう。これは非常に難しい問いであり、多くの巨大な利害関係が錯綜する中、本質的な疑問が藪の中である。
 オイルショックが1973年、この頃、「石油はあと30年分しかもたない」というような(40年後の今となっては誤っていたことが明瞭な)情報をNHKその他のマスコミが盛んに流していたことを思いださずにはいられない。
 2018年の現在となっても、「私たち一人一人が、主体的に生活の改革に取り組まねばならない時代が到来している」という主張は古さを感じさせない。が、一方で、どの程度の緊急性を持って迫られているかという点に関しては、今もって確定的な根拠となる情報が曖昧なままである。2011年の原発事故を経てさえも、そしてそれから7年を経過した現在でさえも、国民のコンセンサスを形作るための基礎的な科学的情報が不足している感は否めない。
 さて、たとえば東京の空気、1975年に私が東京に出て来た頃は、国道17号を500メートルも歩けば眼が真っ赤になるほど排気ガスの酷い日も多かった。それから40年後、排ガス規制などに応じたクルマ技術の進歩は目覚ましい。自動車エンジンの性能が上がったおかげで、都会の空気はずいぶんと改善されていて、東京の中心部を歩くのは、身体的に楽になり、おかげでずっと楽しくなった。たとえば、クルマのエンジンの排気量は1400ccでも、2800ccのエンジンよりも全回転域でずっとパワフルで、当然ながら燃費も素晴らしく良い。クルマに関してこの40年の技術革新は立派だ。(ただし、高速道路料金、あるいはクルマやガソリンなどに関する税制などには課題も多い)。大きな自主規制(もったいない・欲しがりません)をしなくとも、このような必要な技術改善を地道に積み重ねていくことで、何十年か経ていくうちに大きく改善されるということもあるだろう。
 一方、日本の米作りや有機農業に関しても(恐らくゆっくりと)良い道を見つけていかねばならない。
 たとえば、いわゆる有機栽培に関して、具体的な方法如何によっては、むしろ慣行農法よりも石油依存性が高く「付加価値」がついている場合などもありえる。だから、総合的に冷静に、科学的に何がベストか考えていく必要がある。
 いずれにしても、この著書の視点、現在の石油依存文明社会のなかで、我々の営みが石油を(あるいは石油換算で)どれだけ消費しているかというポイントを把握して論じることは大切な事柄だ。科学的に信頼のおける情報を多く集めて議論のベースにしたい。
写真は、手作りのタマネギ、カブ。家庭菜園での無農薬栽培は比較的簡単である。それでもポリ・マルチは石油製品そのものだ。マルチを掛けないと土が酷く硬くなる。モミガラをかなり入れて改善しようとしているが、今のところ、量的に全く足りない状況だ。
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2018年8月11日 土曜日 HH追記。

さて、先ほど、鐸木さんのサイト http://nikko.us/18/166.html を読んでいたら、私の読書ノートのページ 帰せ土 大日本エコロジスト翼賛会 http://quercus-mikasa.com/archives/7444 へリンクが貼られていたので、私もびっくりしてしまった。もう少ししっかりしたものを書いておかなくてはせっかく見ていただいた鐸木さんに申し訳なかったと思うのであるが、力が及ばないのが現状である。

改めて、本ウェブページの補註を読み返してみて:

2018年の現在となっても、「私たち一人一人が、主体的に生活の改革に取り組まねばならない時代が到来している」という主張は古さを感じさせない。が、一方で、どの程度の緊急性を持って迫られているかという点に関しては、今もって確定的な根拠となる情報が曖昧なままである。2011年の原発事故を経てさえも、そしてそれから7年を経過した現在でさえも、国民のコンセンサスを形作るための基礎的な科学的情報が不足している感は否めない。(以上、引用終わり)

2013年以来、(自分としては精一杯の)土つくりの農業に携わっている私としては、「主体的な生活改革に取り組んでいる」とも言えるが、難しさや迷いも多々感じて、今は何と6シーズン目。「国民のコンセンサスを形作るための基礎的な科学的情報」と言えるような基盤知識をもう少ししっかりとつかんでみたい。2018年8月11日・追記。

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