縄文の基本的死生観・「円環的死生観」

2019年3月4日 月曜日 晴れ

山田康弘 縄文時代の歴史 講談社現代新書 2510 2019年

縄文時代に存在したと考えられる死生観の一つは、再生・循環の死生観である。このような死生観はアイヌなどにみることのできる「もの送り」の思想ともリンクする。この世のものはすべて、あの世とこの世を循環すると考えるこの「もの送り」の思想は、縄文時代における根本的な死生観であった。これは生命・霊が大きく円環状に回帰・循環するという意味から、円環的死生観と呼ぶことができるだろう。

そのことを最も象徴的に表現しているのが、土器棺墓や土器埋設遺構である。(山田、同書、p213)

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屈葬の意義:

・・縄文時代の人々の感性が、必ずしも現代人のように省力化・効率化の方向へ進んでは行かないことは、非常に手間ひまがかかるさまざまな造作をみればよくわかる。一生懸命にヒスイを磨いて立派な大珠をつくったり、精巧な装飾を持つ骨角製品を製作する手間ひまを考えれば、直径たかだか一メートルちょっとの墓穴一つ掘るくらいわけないだろう。・・・(中略)・・・ 屈葬は縄文時代の人々の再生観念を表しているという考えを否定する根拠は、今のところはないだろう。(山田、同書、p212)

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「記念墓」に埋葬された人々

・・このように遺体を丁寧に取り扱っているということは、初葬地から人骨を取り上げる段階で、それぞれの遺体に「個人的記憶」や「社会的記憶」が存在していたことを推定させる。ということは、埋葬を行った人々(埋葬者)は、葬られた人々(被葬者)たちからみて、およそ死後、三世代以内の人々であった可能性が高いことになる。(同書、p268)

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「記念墓」構築の契機

集団関係を再構築する際に合葬・複葬が意図的に行われ、そのあり方・目的の規模によって、合葬・複葬例が多数合葬・複葬例にもなり、少数合葬・複葬例にもなるというような「人間関係再構築原理」とでも言うべき方法論が縄文時代には存在したとみておきたい。これが発動されたときに合葬・複葬が行われたと考えた方が、モデルとしてはシンプルである。その中の一つが多数合葬・複葬例であり、祖霊祭祀にまで通じるものであったということになる。(山田、同書、p269)

・・また、先のような祖霊観・祖霊祭祀が成立するためには、自分たちが一族や家系などの系譜において、どのような歴史的・時間的位置にいるのかを知る必要がある。したがって、縄文時代の後半期には、このような形で系譜的な結びつきを重要視する、祖霊崇拝という新たな思想が成立していたとみられる。(山田、同書、p270)

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補註 子どもが誕生する瞬間を表現している顔面把手付深鉢:

山梨の文化財ガイド(データベース)考古資料03 より <以下引用>: 顔面把手付深鉢

がんめんとってつきふかばち / 平成4年3月5日指定 / 北杜市(北杜市須玉町大豆生田961-1) / 北杜市

北杜市須玉町の津金御所前遺跡から出土した縄文時代中期の深鉢形土器である。口縁部の顔面把手と土器本体にある人体のような装飾と顔面装飾があることから、子どもが誕生する瞬間を表現しているとされ、出産文土器とも呼ばれている。縄文時代の精神文化を端的に示す資料である。http://www.pref.yamanashi.jp/gakujutu/maibun/yamanashinobunkazai_kouko003.html

他にも資料として: 

人面把手付深鉢(津金学校のウェブサイト) 

http://tsugane.jp/meiji/doki_iseki/shusandoki.htm

山梨デザインアーカイヴズ 

https://design-archive.pref.yamanashi.jp/shape/4819.html  約4,500年前の土器。縄文時代中期前半につくられた。口縁部に1つ、胴部に2つの人面の装飾がつけられている。口縁部の顔を母親、胴部の顔を子どもとみたて、出産を表現していると考えられる。山梨県有形文化財に指定されている。

https://design-archive.pref.yamanashi.jp/shape/4819.html#info_4sub

補註: 上の写真をみると、胴部の裏側にもうひとつ人面の装飾があることがわかる。

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