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東風は厚薄なく 例に随いて衡門に到る

2016年4月4日 月曜日 曇り

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年

新春 真山民

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余凍雪纔乾

初晴日驟暄

人心新歳月

春意旧乾坤

煙碧柳回色

焼青草返魂

東風厚薄無

随例到衡門

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一海さんの訓み下し(一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年 p3-5)

余凍雪纔乾 よとう 雪 わずかに乾き

初晴日驟暄 しょせい 日 にわかに あたたかなり

人心新歳月 人心 新歳月

春意旧乾坤 春意 旧 けんこん

煙碧柳回色 煙(かすみ)は みどりにして 柳は色を回(かえ)し

焼青草返魂 しょうは青くして 草は魂を返す

東風厚薄無 東風は 厚薄なく

随例到衡門 例に随いて 衡門(こうもん)に到る
 
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補注 真山民(しんざんみん) 宋代末期の詩人

一海さんの解説: 
柳は色をかえし 柳の芽は春の色をふきかえす。
焼(しょう)とは野焼きの跡をいうのであろう。野焼きの跡もさみどりに芽吹いて、草は魂をよみがえらせる。
衡門は、柱を二本立て横木を一つわたしただけの粗末な門。早く詩経にも見えて、隠者のすまいをも意味する。

人間社会には不平等があり、人生にはさまざまな起伏がある。しかし自然は、四季の変化は、時に焦燥感さえいだかせるほど厚薄なく、例に随い時を定めて、どこへでも訪れる。
 自然の厚薄のなさに、人間社会の厚薄を感じとる、さらにこの人間社会にも厚薄のない未来の実現を希求する。自然を詠じた中国の詩人の中には、そうした希求をひそかにしかしねばりづよく抱きつづけた人々が、少なくなかった。(一海、同書、p5)

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