家族主義的家族 vs 利己主義者集団の家族

2017年8月8日 火曜日 晴れ

加地伸行 沈黙の宗教ーー儒教 ちくまライブラリー99 1994年

 利己主義には大いなる道理に基づいての自律もなければ、自立もない。在るものは自己の利益の追求だけであり、利益に依存する受身的なものである。真の自立した個人主義者であるならば、己れの論理に忠実に従い、時には尊い生命を捧げることもあり得る。そういうりっぱな方が確かにいる。しかし利己主義は、どんなことがあっても絶対に自己の生命は差し出さない。
 日本の教育は、権利とともに義務をも重視する個人主義者を養成していない。小学校以来、義務はいやで権利ばかりを利益的に求める利己主義者を養成しているだけである。その結果、家族主義的家族を否定して個人主義的家族を作ろうなどという目論見はみごとに外れて、利己主義者の集団のような家族が急速に増えつつある。それは戦後日本の教育の無惨な失敗を示している。
・・・(中略)・・・
 ところが家族主義を否定し、しかし個人主義は身につけず、利己主義者として育ち生きる人々の大群を前にするとき、現在のみならず今後も含めて、老人は悲惨である。それが、個人主義的現憲法がもたらす<国民の幸福>なるものの実態である。(加地、同書、p261-262)

 その個人主義もキリスト教と結びついている間は、すなわち唯一絶対神と個人との関係が確かな間はそれなりに機能する。しかし、欧米では、キリスト教信仰を失った人々が増加しているというではないか。そういう人々は、個人主義と言っても、キリスト教徒という帰属感を持っていないのであるから、その個人主義はいずれ遠からず利己主義に転じてゆくことであろう。その極致は、自分を支えてくれるものとして金銭・財産に最高の価値を置く拝金主義である。(加地、同書、p263)

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菜園日誌 170801-170808

2017年8月1日 火曜日 晴れ

ブドウの芯止め:
この8月上旬でブドウの芯止めを行い、登熟に向かわせる・・ということで、今日の誘引整枝作業は主に芯止め。5月の芽生え以来、2ヶ月半にわたってずいぶん伸びてきたのだけれど、これからは伸びるのはやめて、草から木になって欲しい・・という形で茎の成熟を目指して育てたいのである。

真夏の今、早くも秋に向けて「これ以上は伸びさせない」というのは如何にも寂しいような気持ちになる。

しかし、「秋伸び」は無意味、ないし有害である。実際、去年の8月下旬から9月にかけて伸びた茎は、結局は登熟できず、冬の寒さのおかげで梢の根元まですっかり枯れてしまったものがほとんどだったのである。どうやってブドウ草がブドウ樹になるのを助けるか、それが今月からのテーマである。

・・とはいうものの、すでにブドウたちは節間が詰まり、成長点も細っこいものがほとんどである。すなわち、私が手助けしなくても私の畑のブドウたちはすでに成長モードから成熟モードに切り替わりつつある。わたしが行うのは、ほんの少しでよいから人為的なバイアスをかけて、木への成熟を後押しすること、そして成熟の邪魔をしないことがポイントである。

コスズメ6匹、捕殺。

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夕刻、ミニトマトの誘引、収穫。家族二人が食べるにほどほどの量が収穫できた。

終了は午後7時。次第に日暮れが早くなってきているのがわかる。

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2017年8月2日 水曜日 晴れ/曇り やや暑い・蒸し暑い

朝から、ブドウの芯止めの続き。ブドウの管理作業の中ではとても簡単な作業である。ただし、効果のほどは要注意。簡単に芯止まりしないものもあるかもしれない。

昨日と今日とで1300本、簡単に一巡することができた。コスズメ、今日も6匹。その他、カメムシやヨガの卵集団多数を排除。

それから、自走式草刈り機で圃場まわり・リンゴ畝まわりなどの草刈り。

昼休みを挟んで、

今日は市役所に農地に関する相談に行ってきた。

次いで、自走式草刈り機でブドウ垣根下の草刈り。今日は6列・12往復まで。自走式になって楽になったとはいえ、額から汗がたらたらと落ちてくる。

さらに、赤クローバーの畝を草刈り機で刈ってみた。フレールモアで行うつもりであったが、折角軟らかくなっている土を踏みしめない方がより良いだろうと思い、自走式で刈ってみたのである。伸びきった赤クローバーは非常にヴォリュームがあって、小さな草刈り機には荷が重い感じでウンウンだったが、なんとか刈り払えた。こうして草刈りを綺麗に行うと、圃場はなかなか整った手入れの行き届いた感じに見える。残るは、百日草やムギワラギク周りの強雑草たちである。それからブドウ垣根の7列も。

夕方、19:30終了。帰りがけ、(いつも注目して参考にさせていただいている)お隣のNさんのバッカスの圃場を見たら、綺麗に芯止めされていた。今がちょうどそういう時期なのだ。Nさんとぴったり同じ日に我が畑のバッカスも芯止めできたのは、どことなく嬉しい。

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2017年8月3日 木曜日 曇りのち晴れ(強烈な真夏の陽射し)

朝、自宅の庭にて:
鉢にバラまきして管理していた白花除虫菊をポットに鉢上げする。9cmポットで120鉢、それから128ウェル・ペーパーポットにチェカー-ボード植えで50株程度。意外と時間がかかった(よくあることであるが)。

ほかに2枚の128ウェル・ペーパーポットが2プレートで60株程度は育っているので、230株程度の苗を養成できそうである。9月頃までにこれを定植するとしたら、1mに9本として、30メートルほどの畝が必要となる。1mに6本であれば、40メートルの畝が必要。一方、今年は綺麗な花を咲かせて楽しませてくれた赤花除虫菊、この夏の暑さのおかげでかなり枯れてしまった株も多いようだ。株分けないし植え替えは行った方が良いかもしれない。どこへ? 今空いているのは、ニンニクの跡地である。ジャガイモの跡地も候補であるが、早めに仕事を進めるという観点からは、今からニンニクの跡地を整備していくのが望ましいだろう。

午前中、ブドウ畝の垣根下の草刈り。3列、3往復ほどのところでお昼休み。お隣のAさんと立ち話。

風は涼しいが、強烈な夏の陽射しである。車の車内はかなりの高温となる。

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マグネシウム欠乏症状に関して:
シャルドネの新梢の基部の葉っぱにマグネシウム欠乏症状がみられるものを散見する。
1)土壌に苦土成分が少ない場合、
2)カリ肥料の過剰施肥により樹へのマグネシウム吸収が妨げられる場合、
3)樹勢が強すぎる場合、
以上の場合に大別されるとのこと(原色果樹病害虫百科・ブドウ・農文協、より引用)。
本園の場合は、シャルドネの元気に育っている株だけに見られることから、「樹勢が強すぎる場合」に該当するのではないかと思われる。

一般に要素欠乏症状として、葉脈間が黄色くなり、葉脈だけが緑色に残る「トラ葉」(マグネシウム欠乏)、果実の着色不良で、ゴマシオ状になる症状(マンガン欠乏)、葉の周辺が褐変し、裏側へカールしてくる症状(カリ欠乏)、果実にアンが入ったようになる「アン入り果」やエビのように曲がる「エビ果」(いずれもホウ素欠乏)などがあります。いずれも総合微量要素肥料を施用します。普段から堆肥など有機物を用いた「土づくり」を行うことで、微量要素欠乏を軽減(あるいは防ぐ)することができます。(環境農林水産 質問BOXより引用: ブドウなどで発生する生理障害について http://www.kannousuiken-osaka.or.jp/faq/norin_kaju/doc/2014031000906/)

ブドウ マグネシウム欠乏 JA愛知のサイト「作物の生理障害図鑑」より以下引用 http://www.ja-aichi.or.jp/hiryounouyaku/fert/sick.html
症状 下葉や果実付近の葉がモザイク状に葉脈間が黄化し早期に落葉する
発生原因 カリやカルシウムの過剰による拮抗作用でマグネシウム欠乏症が発症する事もあるが、殆どが流亡しやすいマグネシウムを十分施用していないため発症している。苦土は葉緑素の必須成分で、欠乏すると葉緑素が作れなくなり葉脈間が黄化する。

補註 総合微量要素肥料に関して・・
たとえば、Zボルドーなどの散布時に葉面散布の液肥を使うことができるか?

ウェブ情報によると・・
葉面散布肥料は一般に酸性のものが多い・・・アルカリ性の農薬や液肥との混用は避ける
窒素・リン酸・カリ・マグネシウムなどの多量要素は葉面散布 だけで補うことは困難
総合微量要素剤は予防に使う 緊急対策には効果が低い!! Mg 硫酸マグネシウム 2%(イネ0.5~1%) 効果発現に3~5週間
(http://www.shk-net.co.jp/web/img/webdata019.pdf より引用 補註 この清和肥料のpdf資料はよくまとめられていて参考になる)

補註 Zボルドーはアルカリ性とのことなので、葉面散布肥料との混用は避けた方が良いらしい。

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午後、垣根下の草刈りの続き。4往復ほど。2日、3回に分けて、一巡できた。自走式なので作業は楽である。ただし、新梢の表層を傷つける(「アオ剥け」の状態に見える)ことがあるので、あまり厳しく株元を攻めない方が良さそうだ。その場合、残った強雑草をどう扱えば良いか?

その後、百日草とムギワラギクの株周りの草取り。

お隣のTさんからさまざまアドバイスをいただく。

すっかり昏くなってしまった。

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2017年8月4日 金曜日 曇り一時雨

畑仕事は休み。

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2017年8月5日 土曜日 晴れ

朝、ジョイフルのお店で資材購入。今回は耐火レンガブロックも購入した。

午後、硫酸マグネシウム(7水塩?・25%・20kg袋)施肥。40kg。(追記:8月7日にさらに80kg追加施肥)

トマト、インゲン、タマネギなどの収穫。百日草・ムギワラギクの畝の草取り。

お隣のAさんが、畑を案内してくださった。私たちのブドウ畑、そしてリンゴの列が、西からの光線を受けて、柔らかな逆光でとても美しく見えた。いつも畑の中にいて近景として見るか、それとも展望台まで行って遠景としてみるか、いままでそのどちらかだったが、今回、この中距離とでもいえる位置から畑を眺めることができた。Aさんには来年のソバ栽培のご指導を頂けるようお願いした。タネと刈り取り手配などに関して農協で相談するようアドバイスをいただく。早速月曜日に行ってこよう。

お隣のNさんのお家、留守だったので、家人の手作りの農産加工瓶のお土産をドアに置いておく。

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2017年8月6日 日曜日 晴れ

朝、ヒロシマ追悼の長いサイレンが鳴る。8時15分、72年前。

ちょうど出かけるところのNさんにお会いできたので、ご挨拶。お土産に、大きなスイカ2個、トマトいっぱいをもらった。

恒例のZボルドー・愛媛AI散布。家人のSS作業は手慣れたものになった。私は背負い動噴でリンゴと挿し木ブドウ苗、それに、今回自宅の庭から運んできた今年の鉢植え挿し木台木苗、に散布。挿し木苗の生育が盛んで、12リットルでは足りなくなりそうだった。次回からは15リットルとしよう。(追記:8月7日現在、鉢植えの挿し木苗にボルドー液の薬害は見られない。元気そうである。)

軽トラに積んでいた愛媛AIのボトルの蓋を閉め忘れていて、軽トラを降りたときには荷台にすっかりぶちまけてしまっていた。大損失である。

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真昼は陽射し強く、暑くて働けない。ただし、自宅の室内も極暑である。サーキュレータで風を送って暑さをやり過ごす。

夕方、Yさんの売店で、2014のツバイゲルトレーベを購入。これは、3年前の夏にずっと私たちが灰カビの実を取り除く世話をしたブドウがワインになったものだ。 

百日草やムギワラギク、ダイズやアズキの畝の草取り、続き。タマネギ、トマトの収穫。

やはりすっかり昏くなってしまった。

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2017年8月7日 月曜日 晴れ(日中は猛暑・夕方は涼しい)

朝から早速、百日草・ムギワラギク・ダイズの畝の草取り、続き。マニュアルで草取りするのは骨の折れる作業である。ロータリー管理機で中耕除草と土寄せ。逆転でスムーズに土寄せすることができた。今日の土の乾き具合がベストコンディションのようだ。ただし、ロータリーンにずいぶんと草が絡みついてしまい、取りはらうのに苦労した。抜いた草の置き方には、中耕の際に邪魔にならないよう工夫が必要。

トマトの収穫。水道で洗ってその場で食べる。こんな食べ方が一番合っているようだ。

午前中の草取り仕事で時間が押してしまい、お昼を食べることも省略して、アポの取れた農協M支所へ。来年のソバ栽培に関して相談し、概要をお教えいただいた。また、出資を増やして農協の正組合員になることに。それらの書類手続などに関しても進めた。

夕方、農協・本所で資材購入に関する手続のための書類をいただく。保証人の署名押印が必要。肥料・ガソリンなども購入。

硫酸マグネシウム・4袋80kg追加施肥。葉っぱのマグネシウム欠乏症状はひどく目立つようになってきた。施肥したからといって今すぐにこの葉っぱの色が消えるというわけではないのが残念である。これ以上進まなければ上出来と考えなければならない。私のブドウ畑は全体に葉っぱの色が淡い、窒素不足の雰囲気だ。徒長は全く無いのだから、貧栄養と言えるだろうか。来年に向けてどんな施肥計画を立てるか。

ヒマワリ、パレット咲きのプラドレッドやミラクルチョコレートの子孫たちが綺麗に咲いている。コスモス・センセーションも咲き始めた。一方、ロシアヒマワリ(大輪)の方は、なかなか咲いてくれない。密植されるのは苦手なのかもしれない。

カボチャ、最初に植えた群、スィートコーンの隣の列のものが、枯れ始めている。茎をみると、去年と同じ、立枯病の枯れ様だ。一挙に全株に広がるという去年のような勢いではないが、じわじわと迫ってきているのを感じる。最後に植えた、モミガラをいっぱい入れた畝のカボチャたち(カチワリ・K7・長野在来ハッパード)には今のところ症状は出ていない。これには少し期待している(が、その場所こそ、去年のカボチャが全滅した場所そのものなのである)。

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2017年8月8日 火曜日 晴れ

農作業はお休み。今日はL氏が帰ってくる。

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菜園日誌 170726-170731 続コスズメ、他。

2017年7月26日 水曜日 晴れ

快晴の爽やかな朝。朝からブドウの整枝誘引、そして主にコスズメとコガネムシ退治である。午後2時までの6時間で、8列半、850本を見てまわった。ソーヴィニヨン・ブラン(400本)で16匹、シャルドネ(200本)で8匹、バッカスと5C(250本)で、7匹、計31匹のコスズメを見つけた。そのうちの一匹は、被害の痕がある木にムシが見つからないため、試しに苗の根元に繁っている草を抜いてみたところ、大きなコスズメ幼虫を見つけたものである。終齢幼虫で充分に食い足り、これから蛹になろうとしていたのであろうか。根元を掘れば見つかることがあるとの貴重な成功例をもとに、その後は、被害樹の地上の枝を探しても見付からない場合には根元の草を抜いてみるという試みを続けたが、結局一匹も見つけることはできなかった。諺でいうなら「柳の下にドジョウは居らぬ」ということになろう。

取っても取ってもまた見つかる・・果てしなくコスズメ探索を続けているうちに時間はどんどん過ぎ、夏の強烈な陽射しの下、意識が途切れそうになる。

午後は残りのブドウも見てまわるつもり。これ(コスズメ退治)ばっかりで時間が過ぎるのはややもったいない気持ちがする。

大きいのを見つけると、すでに時遅しの状態である。大きいのを見つけた時点で、その枝の成長点とその近傍は丸坊主(ないし全体ほとんど丸裸)にされている、つまり防(除)は半ば失敗である。小さいものを見つけなければならないが、これは非常に見つけにくい。大きいものと巨大なものを4匹みつけても中ぐらいのもの1匹を見つけるのがやっとである。「大きいので防除は簡単である」と書いてあるものをどこかで見たことがあるが、何という愚かな記載であろうか。農作業というものをやったことのない人の戯言であろう。

それでも、小さなコスズメ幼虫(捕まえると、ひ弱な感触である)を見つけることもあるので、私の見回り作業は少しは役立っているはずであるが。

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ためしにバッカスでも元気に育っているものをψ誘引仕立てにしてみた。この作業はこの時期には(新梢が柔軟なため)容易(たやす)い。数週間前のように根元でポキッと裂けてしまう危険も少なそうだ。ただし、今の新梢が来年の春の段階で「木」になっていなければ、冬の間に枯れてしまうわけで、今の仕立て作業は全く無駄になってしまう。来年の春に垣根に結わえ付けるときに仕立てるのとどちらが賢いか、もう少し経験を積まないと答えられない。

今回の株間は1.5メートルであるが、シャルドネのように元気よく育つのを見ていると、株間はもっと広く、たとえば2メートルでも充分だったかもしれない。来年の新植からはそうしてみようか。

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午後、続き。シャルドネ、7列8列、バッカス、9-11列、計450本で、コスズメはシャルドネに17匹、バッカスに11匹、計28匹。午前の31匹との総計は59匹、今期最悪の成績となってしまった。

今日は一日で1300本、全部見てまわったのである。所要時間は計8時間。コスズメやマメコガネのことを考えずにブドウの来年の姿だけを考えることができればもう少し良い農作業ができたのではないかと思うと残念である。水泳しているときに今何メートル泳いだところかカウントしているとそればっかりしか考えられないように、コスズメをカウントしているとその数ばかりが頭の中で反芻されて他の賢いことが考えられない。コスズメの数を数えるのも最初は悪くないが、やや不毛である。退治したコガネムシ(主にマメコガネ;結構多勢で、ひどく葉っぱを食い荒らしている)の数を今では全く数えていないように、コスズメの数を数えるのも今日で終わりにしようか・・と思う。みつよつ、ふたつみつ、そして、いっぱい・・というぐらいの意識で軽くとらえ、主には、来年の結果母枝を如何に今充実させられるか等々の本質的なことを考えながら作業を進めることにしよう。

終わったのは19時半。明日は農作業はお休みである。

プロモーションのためにブドウや圃場の写真を撮影した。

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2017年7月27-28日 木曜日(曇り)・金曜日(曇り一時雨)

農作業は休み。プロモーションスライドにレジェンドを付けてL氏に送った。

フランス・ドゥヴァールという動物行動学者のエッセイで、最近の霊長類エソロジーの勉強。

農文協の百科「ブドウ」の関連項目を読み通した。現代農業の「モミガラ」特集を通読(再)。ハクビシン・アライグマの生態と防除の簡単な本も読む。(今までほとんど知らなかったのであるが、危険は迫ってきている)。落ち着いて座学のできた2日間だった。

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2017年7月29日 土曜日 晴れ

午前中、ブドウの垣根の見回り。バッカスの3列(約250本)で、コスズメ7匹、捕殺。今日から数えるのはやめているのだが、やはり科学的に合理的に考えるには数字は捨てがたい(ので、ついつい数えてしまう)。バラ、トランクィリティ、一輪、切り花に。

午後は、百日草・エダマメの畝の草取り。ロータリー管理機で中耕を行おうとしたが、爪がうまくはいらず、滑って走り出し、とても危ない。(「現代農業」によると、最初の40cmほどを逆転で耕し、土を噛んだところで、正転で続けて行くのがよい、とのこと。次回はそれでやってみよう。)

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2017年7月30日 日曜日 腫れ

朝、ブドウの垣根を見て回る。6列(300本)で、コスズメ5匹。

ソルゴーに施肥。今回は、昨日ジョイフルで購入した尿素(46%窒素)。インゲン(ムラサキ菜豆)に追肥。

トマトに支柱240cmを追加。

お隣のAさんからラズベリーが最盛期とのこと、伺う。お昼前、Aさんの畑でラズベリー狩り。

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午後は、圃場整備のため、モミガラ運び。軽トラにモミガラ袋で12袋ずつ、4往復。計48袋(50リットルとして2400リットル)で、通路12、13、5の3レーン、約240メートルの凹になっている個所にモミガラを敷いて整備。

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2017年7月31日 月曜日 雨時々曇り

朝から雨。畑仕事は休み。7月最終日のちょうど良い区切りなので、記録の整理などを行った。(記録の整理その他、私はずいぶんと不得手だ。)

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菜園日誌 170725 コスズメ

2017年7月25日 火曜日 曇り時々晴れ

朝、自宅の庭で育てているブドウ挿し木苗の若葉を観察していたら、極小のスズメガの幼虫に気づいた。小さくても、はっきりと尾角があるので、スズメガと知られる。体長3,4mmぐらい、細くてか弱い感じである。他にもいないかと捜してみると、2匹、2匹、計5匹を見つけた。恐らくはコスズメの一齢幼虫であろう。終齢幼虫との大きさの格差は巨大である。

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ブドウの垣根を回って歩く。昨日も一巡しているので、今日まわるのは主にコスズメ退治が目標である。バッカスの5列、500本で、8匹のコスズメを見つけた。昨日まわった時には見逃していたものたちである。一昨日の日曜日から、5匹、27匹、8匹、計40匹(プラス、自宅の挿し木苗の5匹の若齢たち)を見つけている。

ちょうど主枝のトップの成長点を食べられ終えたところで捕まえた場合もあり、もう一時間早く見つけられていたなら・・と悔やまれる。

今日は午後から夕方で残りのシャルドネ、ソーヴィニヨンブランも見てまわるつもりである。

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夕方、トマトの畝の草取りと、トマトの誘引整枝、そしてトマトの収穫。草取りに思わぬ時間を取られ、夕闇迫る頃となった。

こんなに昏くなっては、コスズメなど見つけられないだろうとは思いつつも、シャルドネの列を歩いてみると、いたのである! 結局、2列(S&Nの8列と6列、計200本)を歩いて4匹、大きいのを見つけてしまった。夕焼けの美しいたそがれ時で、シャルドネの成長点にしがみついているコスズメのシルエットが、静かで、かつ・・などと考えている場合ではなさそうだ。こんなに昏くても4匹も見つかるようでは(しかも、昨日すでに歩いた列ではないか!)、いったい何匹がこの畑で夜も休まず24時間営業でブドウの葉っぱを食べていることだろう。そう思うと恐ろしくなってくるのである。予定を変更して、明日も一巡してみなければならなさそうだ。

すっかり昏くなって、携帯電話画面で時計をみたら19時46分。

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ウィキペディアによると・・・
コスズメ Theretra japonica Boisduval
翅開長:55-70mm
分布:日本全土
全身が褐色の小型のスズメガ。6-9月に見られる。幼虫は緑色乃至褐色で、ブドウ、ヤブカラシ、ツタなどを食べる。とのこと。

補註 「卵から孵化するのに数週間」とウィキペディアには書かれているので、もしそうであれば、この7月下旬の私のブドウ畑でのように猖獗を極めることが分かっていれば、もし農薬で防除するのであれば今から数週間前、たとえば7月の第一週ごろ(あるいは7月の上・中旬)までにたとえばIGR剤(Insect growth regulators;脱皮阻害剤)やBT剤(Bacillus thuringiensis;バチルス・チューリンゲンシス菌)などを使うべきだったのだろう。これらは、天敵にはほとんど影響をあたえることなく、ブドウの葉っぱを食べる蝶類の幼虫(と卵)に作用する薬剤・生物資材である。

補註 コスズメの形態に関しては、http://tpittaway.tripod.com/china/t_jap.htm にかなり詳しい記載があるが、幼虫が何齢まで脱皮を繰り返すのか、蛹になるまで標準で何日ぐらいか、などに関しては記載がない。今日、ブドウの挿し木苗で見つけた極小の一齢幼虫をブドウの葉っぱを与えて飼育してゆけば、うまくいけば、何回かの脱皮を経て蛹になるのか、観察して知ることができたのであるが・・今の農作業の忙しさ(多くが後手にまわっている)を考え合わせて、飼育して探究してみたいという気持ちを、ぐっとこらえたのであった。

補註 スズメガの成虫は超能力の持ち主で、時速50kmものスピードで飛べるし、またハチドリのようにホバリングもできる、とのこと。昨年、エビガラスズメの成虫を実体顕微鏡で見てみたが、それは華麗、ゴージャスな装飾美の貴婦人といった感があった。
 幼虫は(帆角・「ほづの」とでも名づけたいような)特徴的な尾角をピンと立てて名乗りを挙げる。逃げも隠れもしない、堂々としたものである。気立ては優しいようで、捕まえても咬んだり刺したりはしない。もちろん、毒針もない。眼を擬したような美しい模様もある。すべすべした肌を持っているので、捕まえるのに躊躇することはない。清潔そのものである。イモムシ(もとはといえばサトイモなどを食べるスズメガの幼虫のことをイモムシと呼んだらしい)の代表格である。
 このような無邪気な虫を目の敵にしてやっつけるのは、大変気の咎めることである。ヒトの農の営みでは、草食の小さな動物が「害虫」となることが多い。テントウムシ、蜘蛛、カマキリ、トンボなど、肉食の(もし大きければとても)恐ろしい動物が「益虫」とされて、農家の友である。こればっかりは、ヒトの都合によるものではあるが、変えることも避けることもできない。競合する食べ物を他者と争うことはヒトの農の宿命とも言えるかもしれない。
 私としては、1)無益なコスズメ殺生は一切行わず、しかし、2)ブドウの成長点を食べるコスズメは一匹たりとて生かさない、という方針を取りたい。1)は恐らく実行できているのだ。が、2)は前に述べたように、低い検挙率で止まっている。結局は、コスズメと私との闘争は、局所的には私が日々のバトルに(消耗戦を制して)勝ち続け、大局的に見ればコスズメ勢が種として大繁栄している(つまりコスズメの勝利に私=農家が美味しい餌を供給して貢献している)、という収支計算になっていそうである。

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ディケンズとトルストイ

2017年7月19日 水曜日 曇り

オーウェル「チャールズ・ディケンズ」オーウェル評論集 小野寺健編訳 岩波文庫 赤262-1(訳本は1982年)

George Orwell, Essays, Penguin Modern Classics, 1984, 1994, 2000

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だがここで、「単なるカリカチュア作家にすぎない」という批判が実は非難とはいえないことが、まさにわかるのだ。ディケンズがたえず脱却しようとしているのにどうしてもカリカチュア作家だと見られてしまうという事実、これこそおそらく、彼の天才をもっとも確実に証明するものではないのか。彼が作り出した怪物たちは、まずメロドラマになりかねない筋に巻きこまれても、やはり怪物として記憶に残る。さいしょの衝撃があまりにもなまなましいので、その後で何があろうと、この衝撃は消えないのだ。・・こういう人物像が、ちょうど嗅ぎ煙草入れの蓋についているくらきらした細密画のように、ぴたりと定着されたきり消えないのだ。徹底的に空想じみた、信じがたい姿だが、どういうわけか、このほうが真面目な小説家たちの努力した人物像よりよほどくっきりしていて、はるかに記憶に残るのである。・・・(中略)・・・
 だが、それでも化けものの姿を描くとなると、ひとつ不利な点がある。結局、ディケンズはいくつかのきまった気分だけにしか訴えないのだ。つまり、彼の手がけっして届かない精神の広大な領域が残ってしまう。彼の作品にはどこを見ても詩的な感情はないし、純粋な悲劇もない。性的な愛さえもほとんどその視野には入ってこない。・・・(中略)・・・
トルストイのほうがわれわれ自身についてはるかに多くのことを語ってくれるような気がするのはなぜか? ・・トルストイの登場人物たちは成長するからなのである。彼らは自己の魂の形成に悪戦苦闘する(補註:フォースターのいう「ラウンド」な登場人物たち)。ところがディケンズの人物たちは初めから出来上がった完成品なのだ。(補註:フォースターのいう「フラット」な登場人物たち)。わたしのばあいには、トルストイの人物たちよりディケンズの人物たちのほうが、はるかに頻々と、かつ生き生きと心の中に現れるけれども、その姿勢はつねに同じで変わることがなく、まるで絵か家具のようである。・・要は、ディケンズの登場人物には精神生活がないということだ。彼らは当然言わなければならないことは完全に言うものの、それ以外のことを話すとはとうてい考えられない。何かを学んだり、思索したりすることは、けっしてないのだ。ディケンズの登場人物の中でもっとも瞑想的なのは、たぶんポール・ドンビー(補註:「ドンビー父子」の主人公)だろうが、彼の思想は甘ったるい感傷にすぎない。(オーウェル、同訳書、p134-137)

補註 このオーウェルのディケンズ論(1939年)を読んだのは数年前のことである。(オーディオブックを車に載せてずっと何度も聞いていたのである。)
 以前の私は、成長してゆくトルストイの人物たちにしか価値を認められなかったものだが、このところの私はディケンズを読み進めていて、かなり楽しめるようになってきている。
 E.M.フォースターの小説論(1927年)と併せ読んでみると面白いと思う。

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