2022年1月6日 木曜日 晴れ
神野正臣 「世界史」で読み解けば日本史がわかる 祥伝社 平成29年(2017年)
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創業と守成
・・「1万2000年もつづいた」という事実自体が、縄文時代が「変革を必要としないほど豊かで平和な時代」だったことを証明しているのです。(神野、世界史で読み解けば・・、p31)
定住を可能にした縄文人の知恵
・・縄文人が自然採集のみに頼っていたのではなく、ちゃんと栗の木を苗から植え、繁殖させていたことがわかってきました。 たとえば現在でも・・恒久的に資源が枯渇しないように配慮していますが、それと同じことを縄文人も行い、資源(栗の森)が枯渇しないように工夫していたというわけです。 こうした特徴はヨーロッパその他の狩猟採集民には見られないもので、これなら安定的に採集を確保することが可能になります。 しかし、それでも「定住」となるとまだ足りません。 そこで、時代の名前の由来ともなっている「縄文土器」がその謎を解明する焦点となります。 ・・彼らは、木の実や魚を・・ちゃんと煮炊きをし、料理をしていたことが判明したのです。 ・・四季折々の豊かな自然に恵まれ、そこから十分な糧を得ることができた縄文人は、まったく農業に移行する必要がなかったのです。
いえ、それどころか、たとえ農業を知ったとしても、その導入には抵抗したことでしょう。 なんとなれば、・・農業を導入するためにはその第一歩としてまずこの実り豊かな自然を破壊し、整地して田畑を作らなければならないからです。(神野、世界史で読み解けば・・、p34)
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AA(アジアアフリカ)圏諸国に残された道
ひとたび帝国主義段階に突入すると、帝国主義列強の侵略の矛先とされたAA圏諸国に残された道(選択肢)は好むと好まざるとにかかわらず、事実上以下の3つのみとなります。
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第一 国を鎖して一切の国際外交を拒絶し、自国の安寧を図る
第二 自らも産業革命を興し、近代軍を拡充して富国強兵を図り、植民地を作って列強の仲間入りを果たす
そのどちらも失敗したとき、残された選択肢はただひとつ。
第三 列強の侵略に屈し、植民地となって滅び去る
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この三択以外、「第4の選択肢は存在せず、また「三択」といっても最後の選択肢は「滅びる」ですから、実質的には二択。(神野、世界史で読み解けば・・、p178)
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一強多弱の戦い方「合従策」
・・しかしそれは、日本の望む選択肢ではありませんでした。 日本人は「和」を重んずる民族性があり、日本人気質として「喰うか喰われるか」「殺(や)るか殺(や)られるか」の二者択一という“修羅の世界”(第2の選択肢)は性に合いません。
そこで日本は、こうした状況に追い込まれてもなお、「第4の選択肢」を模索します。
それが「合従策」です。(神野、世界史で読み解けば・・、p180)
・・しかし、この「合従策」には致命的な欠点があります。
それは、凡夫ではこの合従の“理(正統性)”をまるで理解できないということです。(同、p181)
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