読書ノート

お前は彼の『人間をとるか、思想(作品)をとるか』

2021年9月24日 金曜日 晴れ

齋藤愼爾 周五郎伝 虚空巡礼 白水社 2013年

「山本周五郎という作家がいる。お前は彼の『人間をとるか、思想(作品)をとるか』」。真の意味での思想(作品)をとるという意味で、私は山本周五郎という人間をとりたい。(齋藤、同書、p78)

<人間にとって大切なことは、いかに生きたかではなく、いかに生きようとしたかである。と彼はくりかえして語る。やりをかついで、風車小屋に突き進むへそまがりの騎士は、世のため人のため、せい一杯、彼の美しくも優しい、ドルシネア姫の名誉においてたたかっている>と。(齋藤、同書、p84)

 ・・敷衍して続ければ、セルヴァンテス=山本周五郎は紛うかたなき近代人であった。だが彼はまさしく「近代」の毒に深く傷ついていたがゆえに、「近代」の限界をも、よく見ぬくことが出来たのである。「騎士道」(献身、無償、自己犠牲)の夢にふけることは、時代錯誤であり、この上ない愚行であることを知りぬいていた。しかし同時に彼の目には、近代合理主義の論理に還元出来ない「精神」の領域を救出するには、この世で最も愚かな人間を造型すること以外にありえないことも明かだったのではなかったか。周五郎が描いて成功した庶民像は、おそらく現実に実在する庶民ではない。「非在」の庶民を描くことはあらゆる理想主義を否定しうる酷薄な眼によって書かれた理想主義の挽歌であり、同時に讃歌でもあり、そこには夢想とその挫折、または理想と現実との背反という、人間における最も根源的な問題が、驚くべき豊饒さをもって投入されているように思われる・・・。(齋藤、同書、p85)

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