読書ノート

幽(かみ)の世界

2021年8月25日 水曜日 雨

磯部忠正 「無常」の構造 幽(かみ)の世界 講談社現代新書465 1976年

磯部忠正 日本人の信仰心 講談社現代新書712 昭和58年(1983年)

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 ・・幽(かみ)の原理が個々の人間によって、どのように具体的な行動や言論の形をとって現されようと、それが一つの政治体制とかイデオロギーとかいう、現実的な体系として組織化されることはありえない。幽(かみ)という原理は、あくまでも顕の批判、顕の否定、顕の限定としてのみ、その純粋なはたらきを保持するのであって、それ自身がひとつの顕となってしまえば、それはもう本来の幽(かみ)ではなくなっているのである。(磯部、「無常」の構造、p194)

・・幽(かみ)という否定の原理に忠実に生きれば生きるほど、じつは現実の顕の生活は「狂」的になるよりほかない。・・にもかかわらず、わたしはこれらの先人たちを代表的日本人と言う。それは一般の日本人が漠然としか意識せず、あるいは意識しないような幽(かみ)ーーしかもけっきょくはその「幽(かみ)」に支えられているーーを、もっともはっきりと意識して、他のすべての条件を捨てて、これに生き、これを生かしたからである。日本人はなぜとも知らず、これらの先人(=西行や芭蕉や良寛)に限りない親近と敬愛を覚える。それは自分たちの感じている「幽(かみ)」への傾斜が、もっとも明らかに、そして烈しくそこに見られるからである。  ところが、これらの先人の生き方や作品からは、現代の日本人は一服の清涼剤か鎮静剤のような効果を期待することはできるが、この目眩くような、混乱と喧騒と競争の現実世界に処するための、積極的な生き方を教えられるはずはない。根源的な否定の原理としての幽(かみ)に忠実な生き方から、積極的な生きる方策を求めることの無理なことは、すでに述べたとおりである。たいせつなことは、その批判、反省、否定である。その徹底性である。それによって、そのつど現実的文化の根本的な軌道修正が行われることが大切なのである。(磯部、「無常」の構造、p195-196)

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補註:顕と幽(かみ)

顕の訓みは? ウェブ辞書によると・・

あらわ あらは 【露・顕】

  1. 隠れていずはっきりと見えること。また、隠さずわざと見せること。むきだし。露骨。公然。 「肌を―に出す」

けん〖顕〗 (顯) ケン あきらか・あらわれる

  1. 1. よく目立つ。明らか。 「顕著・顕貴・顕官・顕位・顕在・貴顕」
  2. 2. 目に見えるようになる。あらわれる。あらわす。明らかになる。明らかにする。 「隠顕・顕彰・顕揚・露顕・顕微鏡・顕花植物」

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