culture & history

マヨワ御子と葛城氏の滅亡: 極楽寺ヒビキ遺跡(奈良県御所市(ごせし)大字極楽寺)

三浦祐之 古事記の神々 付古事記神名辞典 角川ソフィア文庫 令和2年

ベールに包まれていた葛城氏

 ・・中心地と考えられる南郷遺跡群のうちの一つ極楽寺ヒビキ遺跡(奈良県御所市(ごせし)大字極楽寺)から、豪族居館ではないかとされる大型掘立式建物の遺構が発掘されて話題になったのは2005年2月のことであった。・・古事記に語られている御子マヨワ(目弱王)と葛城のツブラノオホミ(都夫良意富美)との哀しい最期を思い浮かべたからである。  古事記下巻、オホサザキ(大雀命、仁徳天皇のこと)の孫アナホ(穴穂命、安康天皇のこと)が天下を治めていた時のこと・・・・・(中略)・・・・・(三浦、同書、p173)

 オホハツセの前に現れたツブラノオホミは、自分を頼ってくれた御子は、たとえ自分はどうなろうとも見棄てられないと言って家の中に戻る。なおも戦い、ついに傷つき矢も尽きたツブラノオホミは御子に「いかに」と問う。(中略)(同書、p174)

 ・・極楽寺ヒビキ古墳から出土した居館跡は、この時二人が籠もってオホハツセと戦った建物だったのではないかとわたしは思った。・・「柱痕跡すべてに焼土が混じることから、火災にあって焼失したようです」と記されている。そして案の定、日本書紀を読むと、家を囲んだオホハツセは火をつけて焼き殺したと記述されている。おそらく、葛城氏の統領ツブラノオホミは逃げ込んだ御子とともに焼き殺されたのだ。そして日本書紀は、葛城氏の滅亡を外から眺めている。

 事実としては日本書紀の描く通りだと思うのだが、それを古事記は、殺される側に身を寄せるようにして、二人の最期を劇的に語ろうとする。そこに古事記という作品のおもしろさが端的にあらわれていると言ってよいし、べつに取りあげたメドリ(女鳥王)もそうだったが(p147)、語りとはつねに、滅びる者たちに向かう表現だったのではないかと思わせるのである。そこから短絡的にいえば、語りというのは死者の魂に向けられたことばだということになる。(三浦、同書、p175-176)

補註: 上記2点のマップはウェブ地図からのスクリーンショット。御所市・極楽寺(地名)。極楽寺ヒビキ遺跡が記されている。

**

*****

*********************************

RELATED POST