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祝頌や魂振り的な行為が恋愛詩の発想となる

白川静 中国古代の民俗 講談社学術文庫484 1980年

2015年11月25日 水曜日 雪のち晴れ

いわい‐うた〔いはひ‐〕【祝(い)歌/×頌】
1 民謡の分類の一。祝いの式や宴席などでうたう歌。祝儀歌。
2 和歌六義 (りくぎ) の一。祝いことほぐ歌。頌歌 (しょうか) 。

祝頌より相聞へ(同書、p143)

・・・そしてこのような伐薪の俗が、やがて結婚の祝頌詩や恋愛詩の一般的な発想となる。ここにもまた、祝頌詩・祭礼詩から恋愛詩への傾斜のしかたを、あとづけることができるのである。(白川 同書 p147)

采薪が結婚の祝頌としてその発想に用いられるのは、采薪がもと予祝の意味をもつ神事的な行為であったことによるものであろう。それで恋愛詩においても、采薪は予祝的な意味で、発想として歌われる。(同書、p148)

恋愛詩の系譜は祝頌や歌垣から出ており、その祝頌や魂振り的な行為が、そのまま思慕的な表現とみなされて恋愛詩の発想となることが多い。・・・(中略)・・・女は歌垣の人垣のなかで、かねて思う男をねらって果を投げつける。それに男から、身に帯びた玉を投げかえしてくれば、その求愛は同意をえたことになる。芳醇な果物の多い東南アジアでは、いまもその俗を伝えるところがあるようである。歌垣がもと照葉樹林文化の地域のものであることはいうまでもないが、中尾佐助氏の「現代文明ふたつの源流」に述べられている「歌垣の仮説」(同書98ページ)は、これを前婿取婚(ぜんむことりこん)との関連において考える。注目すべき提説である。もっともこの仮説は、黄河流域の詩篇にみえる歌垣歌については、なお検討すべき問題を多く残している。(白川 同書、p153、154−155)

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前婿取婚について、以下、「日本婚姻史7 前婿取婚~飛鳥奈良平安(初)~」 http://bbs.jinruisi.net/blog/2007/06/192.html より引用:

前婿取婚は、貴族も庶民も、妻問いから婿取りへの過程にあって、通い(別居)と住み(同居)が相半ばしていた状態。

前婿取婚の方式:
前代と同様、当人同士の間で求婚がなされ、婚姻もなされた。ただこの期になると、女の側には母が背後に出現して監視し、あるいは黙認し、あるいは事後的に承認を与えて男を婿として通わせ、または住ませたりもする権利をもつようになる。
トコロアラハシ=三日餅
昔は性の結合だけがあって婚礼というものがなかった。「嫁ぐ」も単なる性交の意味であった。最初の婚礼は、トコロハラハシ(現場あらわし)として発生した。男が女のところへ通ってきて忍び寝ている現場を女家の人たちがおさえてあらわし、女家の餅を男に食わせて、男を女家の一員とするマジナヒの儀式である。
後には忍び通いの3日目ぐらいにするようになったので、「三日餅」(ミカノモチヒ)ともいわれた。トコロアラハシがすむと、婿は忍び通いをやめ、公然と通ったり、住みついたりする。婿に餅を食わせるのは、神話でいうヘグヒ(おなじ鍋の食事)であって、原始的信仰から出た婿捕り法である。
三日餅のムコトリ儀式は、奈良ごろに農民の間から生まれ、それが平安貴族によって豪華な虚飾的なものとなったろうことが考えられる。三日餅の行事後は、同じ通い婚でも、かつては客人であり、外来者であった婿が、がらりと意味が変わって同族に擬制された。

前婿取婚の問題:
律令法が父系を貫徹した中国家族法を母法としたのに対して、実態は未熟な過渡的父系制の段階にあったので、両者は衝突した。家族の実態はいぜん母系型・母系婚(婿取式)で、子は母族の扶育に委ねられていた。だから父系の近親観念が発達せず、父系の近親婚(同父の兄妹婚)が容易に行われた。

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