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眞(真)は顚屍(てんし)の象

白川静 中国古代の文化 講談社学術文庫 1979年

存在の奥にあって、存在を存在たらしめるものを、荘子は真宰(しんさい)と呼んでいる。それは時間と空間とを超えたものである。しかし人が時間と空間を超えるには、死によるほかに方法はない。眞(真)・・・(中略)・・・の字の上部の匕は化にして死、下は県(けん)、すなわち倒懸(とうけん)の首である。すでに化して髑髏(どくろ)となり、首髪が乱れ垂れている。もはや化することなきもの、これが永遠なるもの、真なるものの実体である。
 懸首を顚(てん)という。また顚倒して路傍に横死するものである。このような非命の横死者は、瞋り(いかり)を発して、おそるべき呪霊となるであろう。これを填(うず)め、祀屋(シオク・まつりや)を設けてこれを寘(お)くことは、すなわち鎮魂の礼である。人麻呂が横死者のために多くの鎮魂歌を作っているのも、そのためである。真なるものとは顚死(てんし)者であり、瞋れる怨霊であり、これを填めて祀所に寘(お)き、慎(つつし)んで鎮(いわ)い弔うべきものである。このおそるべき霊能が、真なるものであった。その原意を、このような群形象の上からも帰納することができる。このような真に絶対者、真宰の意味を与えたのは荘子であった。・・・(以下略)・・・(白川、同書、p256-257)

祀屋 シオク、ないし「まつりや」と読むのだろうか? ならば、祀所は、シショないし「まつりどころ」と読もう。

白川静・字通によると、祀 シ まつる まつり とし。形声。声符は巳(シ)。 自然神を祀ることを祀という。・・・(中略)・・・もと自然神を祀る意の祀が、そのころ(殷の祖祭)には祖祭をよぶのに用いられた。祭祀という祭の字は、示(祭壇)に肉を薦める形で、祭儀の形式をいう字である。以上、白川・字通・p649-650より引用。

同じく字通によると 屋 廟所として祀るところを室、しばらく屍体をおいて風化を待つところを屋という。殯葬する板屋の意。

寘(お)く: 寘 シ おく 行き倒れを鄭重に埋葬すること(字通による)。

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