ロシア文学

五世代経たあとでホープ商会になるのなんて、願い下げです。

2019年12月20日 金曜日 雪


・・こんどはその長男みずからが品行方正な父親(ファーター)となって、また同じ物語がはじまるわけです。・・それが五世代、六世代とつづいて、ついにロスチャイルド男爵(補註#)やら、ホープ商会(補註##)やら、その他の有象無象が生まれるという仕組みなんですよ。どうです、なかなかみごとな眺めじゃないですか。百年いや二百年と受け継がれる勤労、忍耐、頭脳、誠実、根性、不屈、打算、屋根の上のコウノトリ! これ以上、これ以上、何が必要だっていうんです、これを超えるものなんて何もありませんよ。そしてここの地点から、連中はみずから世界全体を裁き、罪ある者、つまり、ほんの少しでも自分たちに似ていない人間をただちに処罰しはじめるんです。・・そんなわけで、ぼくとしちゃいっそロシア式に暴れまくるか、ルーレットで大儲けするかしたいんです。五世代経たあとでホープ商会になるのなんて、願い下げです。ぼくがお金を必要とするのは、ぼく自身のためで、ぼくは自分を、何やら資本の蓄積に欠かせない、付属品などとなんか考えちゃいない。(ドストエフスキー 賭博者 亀山訳・光文社古典新訳新書、p58)


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補註# ジェームズ・ロスチャイルド(1792-1868)のことで、彼は、銀行家一家のトップであった。


補註## ホープは、アムステルダムの銀行家一族のトップの位置にあった。(亀山、同書、訳注p355)

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補註 ホープ商会:

ウィキペディアによると・・・ホープ商会(ホープしょうかい、Hope & Co.)は、2世紀半にわたり活躍した、オランダの有名な銀行である。発起人はスコットランド人であるが、同行はアムステルダムに開業した。18世紀末にはロンドンにも支店を展開した。・・スコットランド商人のアーチボルド・ホープ (en, 1664–1743) がもった8人の息子のうち6人が貿易商を営んでいた。 彼らはアムステルダムとロッテルダムにて海運業、倉庫業、保険業、金融業で活躍した。・・この黎明期にホープ兄弟たちは、ロッテルダムから出港するクエーカー教徒達のための積荷(アーチボルドと息子のイサク、ザカリーの指示の下)およびアムステルダムでの奴隷貿易(息子トーマスとエイドリアンの指示の下)を組織してお金を稼いだ。・・この奴隷貿易はさほど儲からなかったが、船上における奴隷たちへの施しはもっと非道で、うち16%は船上で死亡したとされる。 七年戦争(1756-1763)の間に、ホープ兄弟は投機によって非常に裕福になった。甥のジャン・ホープとヘンリー・ホープがこの会社に加わった1762年に、名前がホープ商会(Hope&Co)に変更された。・・19世紀に、ホープ商会はアメリカおよびロシアでの鉄道投資に特化していた。20世紀には、国際輸送からオランダへの投資に重点を移した。(ウィキペディアより抄録引用)


補註の補註 18世紀の「アムステルダムでの奴隷貿易」については、今後、機会をもうけて調べてみたい。 また、当時の日本(江戸幕府の時代)との関連についても調べてみたい。

補註 ドストエフスキーの小説にホープ商会が言及されるいわれは? 「19世紀に、ホープ商会はアメリカおよびロシアでの鉄道投資に特化していた」という関連から、ロシアでの鉄道敷設に際して巨大な富を見せつけるホープ商会の姿がドストエフスキーの頭にあったのかもしれない。ロシアの鉄道建設史とその裏事情などに関しても、今後何らかの知識が得られたらよいと思う。


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