続・アフター・フクシマ・クロニクル
西谷修 アフター・フクシマ・クロニクル ぷねうま舎 2014年
2015年1月20日 火曜日 読了。
破局はいつも「まだ起こっていない」ものとして「未来」にある。だが、いまその「未来」がここにある。それが「大洪水のあと」ということだ。その「大洪水のあと」、われわれはもはやいままでのように生きることはできない、目先にかまけて「未来」を無視するようにしては。むしろ、ここに現実化してしまった「未来」を基準に、この「未来」の全面化を退けるようにしてしか、「これから」を思い描くことはできないということだ。(同書、p198)
「ここにある未来」に目を向けること、「この未来」に配慮すること、それが技術の功利性や経済的配慮が避けがたくする「無思考」を抜け出る道ではないでしょうか。そして同時に、人類が呼び覚ましてしまった「手触りのある未来」に向き合う道なのではないでしょうか。(同書、p222)
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