2025年4月7日 月曜日 晴れ
フィリップ・K・ディック/浅倉久志訳 アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 早川書房ハヤカワ文庫SFテ−1 1977年発行(オリジナルは1968年)
・・彼女(=レイチェル)は外見的にはだいぶ落ちついてきたようだった。しかし、その底ではまだもの狂おしい緊張がある。にもかかわらず、さっきの暗い炎はもう薄れていた。これまで、彼がほかのアンドロイドでたびたびそれを見てきたように、生命力がこぼれ出てしまった感じだった。伝統的な諦観というやつ。こうした機械的で知的な運命の甘受は、本物の人間ーー二十億年の生存競争と進化にさらされてきた種族ーーにはとうてい真似のできないものだ。 「おれは、きみたちアンドロイドのその諦めかたが、がまんできないんだ」彼(=リック)は荒々しくいった。(同書、p239)
**
・・ディックにとって、アンドロイドとは、内面的に疎外された人間ーーつまり、・・現実の世界(人間的な関わりあいと感じ方の世界)に接触できなくて、内に閉じこもり、機械的な生活を送っている人間ーーの象徴なのだ。・・この新しい観点に立てばアンドロイドが天真爛漫さと悪意とを同時に持ち合わせ、自分の正体を知っているときもあり、知らないときもあり、ほとんど人間そっくりでありながら、人間社会にとっての潜伏的な脅威であることも、決して矛盾ではなくなる。(アンガス・テイラーからの引用; 同書、訳者解説、p293-294)
**
補註: A.アシモフのロビー(育児ロボット)の話、ディック原作の映画「ブレードランナー」そして原作の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」など、北村さんの「北村雄一の地球放送」で紹介されていますので、どうぞご参照ください。
AIの脅威とはシンギュラリティにあらず 地球の歴史 その21
*****
*********************************